苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

心もからだも

年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。
若い人たちには兄弟に対するように、
年とった婦人たちには母親に対するように、
若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように、勧めなさい。
やもめの中でもほんとうのやもめを敬いなさい。(1テモテ5:1−3)

 いかにも「牧会書簡」と言う感じのする箇所。今でもそのまま通用する牧会者の心構え。このあと「若いやもめ」について長々と警告と勧めが出てくる。彼女たちには、相当てこずった状況があったことがうかがえる。使徒の勧めは、彼女たちが再婚して、子を生み、家庭を治めるようにということ。
 このあと、指導の任に当たる長老(治会長老)、指導とみことばに骨折る長老(今で言う牧師)に対する処遇がしるされる(5:17−22)。テモテ自身、指導とみことばに骨折る牧会者の立場にあった。テモテはきまじめな人で、牧会からくるストレスで胃を病んでいた。だから「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のために、少量のぶどう酒を用いなさい。」(23節)とパウロはテモテの健康を気遣っている。いうまでもないことだが、ストレス発散のためにやけ酒でも飲めといっているわけではない。日本のように森が豊かでない地域においては、生水がからだに悪いことが背景にある。パウロもテモテの牧会者として、彼の精神面だけでなく、そのからだにも配慮していることに注目すべきだろう。
 思い出すのは、エリヤがイゼベルに脅迫されて抑うつ状態に陥ったとき、神は彼に40日間の食事と睡眠と運動をもってまず癒しを与え、それから、みことばをもって再起させたという記事である。神の牧会は人の心だけでなく、からだまで配慮する総合的なものだった。神は、人の心だけでなくからだをも造られたお方だから。