苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神岡

  「22:1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、22:2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。」黙示録22章

 岐阜県神岡キリスト教会の会堂の二階で目覚めました。本日、宣教120周年記念礼拝でのご奉仕のためにうかがったのです。神岡町は、富山の県境からほど近いところで、今回、小海から小海線北陸新幹線高山線と乗り継いできました。新幹線ができたので、とっても近くなりました。
 水量豊かな神通川を見下ろす高山線の列車に揺られながら、「神岡」「神通川」という名を思い巡らしていました。実は、前々から準備していた使徒の働き2章からの説教を先週あたまに、主から「そこではないよ」と言われている感じがして、黙示録最終章、いのちの水の川が流れるエルサレムの描写の箇所に変更しました。来てみてわかりました。神の住まわれる岡、神に通じる川ですからね。町を散歩すると、つねに水音がしていて、水屋というものが、そこここにあります。神岡は、天から下ってきた、いのちの水あふれるエルサレムみたいな町です。120年前、徒歩でこの深い山あいの町にはいった宣教師ベルグストローム先生も、同じような感慨を抱かれたのではないかと思いました。


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