苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン10月31日  われの魂よ安けくあれ

詩篇116:7
口語訳
わが魂よ、おまえの平安に帰るがよい。
主は豊かにおまえをあしらわれたからである。

新改訳
私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。
【主】はおまえに、良くしてくださったからだ。


新共同訳
わたしの魂よ、再び安らうがよい。
主はお前に報いてくださる。

 二行目のガマルを、新共同訳のみ「報いてくださる」と未完了的に訳しているが、「良くしてくださった」とするのが普通だろう。英訳もみなそうなっている。
 もうひとつ気になることば、「安らう」。これは日本語の問題だが、本来、「やすらふ」は「やすらはで寝なましものを小夜ふけて」というふうに「躊躇する」という意味なのだが、いつからか「安らぐ」と混用されてしまったようで、前から気になっているが、ちゃんと調べていない。


 それはそうと、詩篇116篇は、なんともやさしい感じのする一篇である。カベナンター「詩篇歌」では、

1.われは主を愛す そはわが主は われの声を聞きたまえばなり
主は われに耳を向けたまえば われ生くるかぎり 主を呼ばなん
2.死のつなわれをば 取り囲みて 黄泉の苦しみに われはあえり
されば主の御名をわれは呼べり 主よ われを救いだしたまえと
3.主は正しくして あわれみあり 愚かなる者を守りたもう
わが低くされし 悩みの日に 主はわれを救いだしたまえり
4.われのたましいよ やすけくあれ 主はなれを愛したまえばなり
主はわが命を死より救い わが目の涙をぬぐいませり
5.主はわが足をば なおく立たせ そのつまずきより 助けたもう
われ生ける者の国ありて わが主の御前を 歩みゆかん

となっている。これまで何度この詩篇歌に慰められてきたことだろうか。本日の箇所は4節で、「われのたましいよ やすけくあれ 主はなれを愛したまえばなり」と訳されている。ガマルを愛したまうと訳している。