苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

洗礼者ヨハネ殉教

マタイ14:1−12


 本日の聖書箇所には、国主ヘロデ・アンテパスとバプテスマのヨハネというまことに対照的な二人の人物が登場します。前半は、ヘロデ・アンテパスについて、後半はヨハネについてお話をします。



1 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑される

  14:1 そのころ、国主ヘロデは、イエスのうわさを聞いて、 14:2 侍従たちに言った。「あれはバプテスマのヨハネだ。ヨハネが死人の中からよみがえったのだ。だから、あんな力が彼のうちに働いているのだ。」

 新約聖書にはヘロデという人物が幾人か登場します。一人はベツレヘムにお生まれになった赤ん坊のイエス様を取り殺してしまおうとしたヘロデ大王です。そのヘロデ大王には多くの妻がおりまして、それぞれ子どもたちをもうけました。そのひとりが本日登場する国主ヘロデと呼ばれるヘロデ・アンテパスです。父ヘロデ大王は、ローマ皇帝によってイスラエル全土の王とされましたが、息子たちはそれほどの力があると認められなかったため、分割統治させられ、アンテパスはガリラヤとその南のペレヤのみを統治すること許され、王ではなく国主を名乗りました。このヘロデ・アンテパスは、このことにかぎらず、なにかと中途半端な人物でした。
アンテパスは、神とバプテスマのヨハネに対する態度も中途半端でした。彼はバプテスマのヨハネ預言者であると知りつつ殺害してしまってから、良心の呵責を感じていたので、イエスガリラヤ地方におけるうわさを聞きつけて、「あれは自分が殺したヨハネがよみがえったのだ。だから、あんな力かイエスのうちに働いているのだ」と言っています。

14:3 実は、このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、ヨハネを捕らえて縛り、牢に入れたのであった。 14:4 それは、ヨハネが彼に、「あなたが彼女をめとるのは不法です」と言い張ったからである。

 アンテパスとピリポは異母兄弟でした。ピリポはガリラヤの東を領土とし、ヘロデヤという妻をもっていましたが、ローマに住んでいました。アンテパスはローマ訪問の際、アンテパスは兄嫁ヘロデヤと出会い、ヘロデヤの魅惑にとりつかれ、アンテパスは道ならぬ恋に落ちてしまいます。姦通罪です。実は、のちのことを見れば容易に推測されることですが、ヘロデヤがアンテパスに走ったのは、彼女が「王妃というものにになってみたい」という虚栄心がその理由だったようです。ピリポには、そういう野心や才覚はないと思って見限ったのでしょう。
 しかし、国主ヘロデ・アンテパスが兄弟の妻を奪い取ったということは、当然、イスラエル国民の知るところとなります。こんなスキャンダルはまことの神を恐れない異教の国々の王であっても、めったにないことです。まして、アンテパスは正義の神をあがめるイスラエルの国主なのです。
 そこで、「荒野に叫ぶ者の声」預言者ヨハネは、公然と国主を非難しました。「国主たる者が兄弟の妻を寝取って、わが妻とするとは何たることでしょうか。上に立つ者が、そのような神を恐れぬ不法を公然と行なって、民がどうして正しく生活をするでしょうか。」ヨハネは権力者の顔を恐れず、命がけでこのように叫びました。
 アンテパスは、「これはまずいことになったな・・・」と思いました。思いましたが、「いまさらヘロデヤを返すわけにも行かないし・・・」と迷っていました。ヨハネが自分たちを非難しているといううわさは、程なく王妃ヘロデヤにも伝わりました。ヘロデヤは王以上に怒り、ヨハネを深く恨みます。彼女は、「私は、熱い恋の炎にもえあがって、都ローマからこの国にやってきたのに、こんなところで民の前に恥をかかせられたわ。キーッくやしい!」と怒り狂ったのです。そして、毎日のように夫アンテパスに、「あなた、私を愛しているなら、私に恥をかかせたヨハネを早く殺してください。」とせっついたのです。それでアンテパスはヨハネを逮捕します。逮捕しますが、ヘロデ・アンテパス自身、「ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。」とマルコ伝並行記事にあります。
 けれども、国主ヘロデは、毎日毎日ヘロデヤにせっつかれて、アンテパスはヨハネを殺したいという気持ちを持つようになってしまいます。神が世に送った預言者であると認めながら、彼を殺してしまおうとしたのです。恐ろしいことです。
 最初、ちょっとした火遊びだと思って始めたことが、燃え広がり始めます。「1:15 欲がはらむと罪を生み」です。そして、アンテパスは「まあまあそう急ぐな、いずれ」などとヘロデヤにごまかしているうちに、罪が熟することになります。



2 罪が熟すると

 ヨハネが逮捕されて土牢に幽閉されて数ヶ月がたちました。王はヨハネ預言者と知っていたのでヨハネの話を聞きながら、悔い改めることはしないままの数ヶ月でした。そういう神の前で、悔い改めるべきだと重々承知しながら、中途半端な状態に自分を置いていたところに、悪魔の罠が仕掛けられます。

14:6 たまたまヘロデの誕生祝いがあって、ヘロデヤの娘がみなの前で踊りを踊ってヘロデを喜ばせた。

 ヘロデヤの娘(サロメ)の踊りです。ローマ風の華やかなまた隠微な踊りだったので、集っている人々の喝采を浴びます。ヘロデは上機嫌になって、誕生パーティに集まった人々の聞いている前で、このサロメに浅はかな約束をしてしまうのです。

14:7 それで、彼は、その娘に、願う物は何でも必ず上げると、誓って堅い約束をした。

 サロメはヘロデの約束を聞くと、母のところに行って聞きます。「おかあさま。国主様になにをおねだりしようかしら?」と。まるで一卵性双生児のような母と娘でした。娘が質問すると、母親はチャンスだと思いました。にっくきヨハネの首を取ることができる、というわけです。それにしても、自分の娘にこのような恐ろしい願いをさせて平気な母親が、よくぞこの世にいたものです。

14:8 ところが、娘は母親にそそのかされて、こう言った。「今ここに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せて私に下さい。」
14:9 王は心を痛めたが、自分の誓いもあり、また列席の人々の手前もあって、与えるように命令した。

 ヨハネのことばを喜んで聞きながら、その戒めのことばに応答もしないで、ずるずると悔い改めを先延ばしにしているうちに、預言者殺しという大罪を犯すことになってしまったのです。彼はヘロデヤの娘サロメに誓ったこと、それを列席の人々も聞いていたことがあって、自分の体面を保つためについにヨハネの首をはねさせたのでした(10節)。
 その首はサロメに盆に載せて渡され、サロメはそれをにっこり笑って受け取り、まるで手柄を立ててご褒美をもらった子どものように、母ヘロデヤのところにその首を持っていったという不気味さです。
14:11 そして、その首は盆に載せて運ばれ、少女に与えられたので、少女はそれを母親のところに持って行った。

ヘロデ・アンテパスの記事を見ると、ヤコブの手紙1章14−17節が浮かんできます。

1:14 人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。
1:15 欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。
1:16 愛する兄弟たち。だまされないようにしなさい。

 ヘロデは欲望の目をもって兄嫁ヘロデヤを見つめました。ヘロデヤはそれを見逃さず、彼を誘惑し、二人は密会し姦通という罪を犯しました。次に、ヘロデヤから言われてアンテパスは預言者ヨハネを逮捕しました。彼はヨハネ預言者と認めながらなお悔い改めようとしないまま中途半端な状態でずるずると過ごしていたところで、ヘロデヤの罠に落ちて預言者殺しという拭い去ることの出来ない大罪を犯すにいたったのでした。
「罪が熟すると死を生みます」ということばの「死」とはヨハネの死ではなく、ヘロデ自身の神の前での死です。ヨハネは神の前に栄光のうちに永遠に生きていますが、ヘロデは神の前に死の暗黒の中にいます。彼は、後年ヘロデヤにそそのかされて、ガリラヤの国主でなくイスラエル全土の国王になりたいと申し出て、退けられてヘロデヤともどもイスパニアに流されて失意のうちに死にました。


3 バプテスマのヨハネの殉教

 最後に、バプテスマのヨハネの生涯と最期についてお話します。ヘロデ・アンテパスの生涯と、バプテスマのヨハネの生涯とはきわだって対照的です。欲望にまみれたアンテパスと、いっさいの欲望を退けて、自分の生涯をキリストの準備者として捧げ尽くしたバプテスマのヨハネ
預言者ヨハネはアンテパスの手にかかって命を落としました。しかし、その肉体の死は、神の前に尊い殉教でした。彼の霊魂は御使いによって、天の神の御許に引き上げられて永遠の祝福のうちに入れられました。 ヨハネの弟子たちは遺体を引き取って、主イエスヨハネの最期について報告をしました。

14:12 それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、死体を引き取って葬った。そして、イエスのところに行って報告した。

 旧約の王国時代、イスラエル王国ユダ王国は神様の前に罪を犯してしまいました。政略結婚をした王たちは外国から入ってきた偶像礼拝にふけり、社会的にも貧富の格差がひろがって社会には不公正が満ちました。本来ならば祭司たちがそうした王を戒めなければなりませんでしたが、祭司たちは階級は王をスポンサーとして神殿礼拝を維持していたので、強いことは言えずに王のご機嫌取りをするようになってしまっていました。そうした時代、神様は市井の人々から預言者たちを起こして、王と民に対して悔い改めをうながしたのです。彼らの多くは無位無官の人々ですから、武器もお金も肩書きもありませんが、ただ神のことばをまっすぐに語りました。その結果、彼らは殉教していきました。
 ヨハネはそうした預言者に連なる最期の人物でした。ヨハネは世の誘惑を退けて荒野に退き、通常の着物を着ることさえ断念してらくだの毛ごろもをまとい、通常の食事さえも断念してイナゴと野蜜で生活しました。そして、「荒野から叫ぶ者の声」となったのです。
 ヨハネは、人々に悔い改めを説き、自分ではなく、自分のあとにやって来るお方こそ待望されたキリストであると告げました。ヨハネに与えられた任務は、「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにする」ことでした(マルコ1:3)。ヨハネはあくまでもキリストの準備者であって、自分はキリストのくつのひもを解く値打ちもないとわきまえていました。イエス様が出現するまで、多くの人々がヨハネのもとに集まりましたが、イエス様が登場されるとヨハネの弟子たちも次々にイエス様のほうへと移ってゆきました。自分は、主の道を用意する者だと自覚していたヨハネは、キリスト・イエスが栄えて行き、自分が衰えていくことを潔く受け入れていたのでした。
 主イエスヨハネについて「燃えて輝く光だ」といわれ、また、「女から生まれた者のなかでヨハネよりも大きな者はいない」とおっしゃいました。ヨハネはまさに地上において旧約時代最後の預言者として走るべき道のりを走り終えて、御国に凱旋したのです。
 バプテスマのヨハネの生涯は、己のためでなく、ただ主の栄光のために、自分の人生を文字どおり捧げ尽くしたみごとな主のしもべとしての生涯でした。


結び
 ヘロデとヨハネ、余りにも対照的な二人でした。主はあなたに、何を語られたでしょうか。自分の欲望の達成のためでなく、ただ主のご栄光が現わされんがために、自分の人生を捧げ尽くしたバプテスマのヨハネ。荒野で「悔い改めなさい。神の国は近づいた。」と叫ぶヨハネの声に聞き、聖餐にあずかりましょう。