聖書のどの巻でもそうなのだが、特にヨブ記は全体としての大文脈をわきまえて読まなければ、読み間違いをしてしまう。
3章以降37章まで、ヨブは自分は正しいと訴えるが、それに対して三人の友人とそのあと登場するエリフはヨブが何か罪を犯したからこんなバチがあたったのではなかろうか、だから悔い改めよという観点からヨブに反論する。彼らのことばを読んでいると、ヨブの主張が誤りで、彼らのことばがもっともらしく聞こえる。
38章で、ついに神は嵐のなかから、ヨブに答えてくださり、以下41章まで創造のわざをもってご自分の偉大さを啓示なさる。42章冒頭でヨブは「これまで噂で聞いていた神を、今、この目で見ました」という。
そして同章7節で、神はヨブの三人の友人はヨブのようには神について真実を語らなかったとお叱りを受ける。神は、ヨブの語ることが真実であり、友人たちの語ったことは真実ではないと認定されるのである。
ヨブ記は、神の前に真実とはなんなのか?という問いをわたしたちに突きつける。