苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

山谷農場(やまのうじょう)報告会


   スズランスイセン


 昨晩は、藤田寛兄に来ていただいて、小海の教会堂を会場に、野宿者支援の報告会をした。藤田兄は神奈川県に住居があって、そちらにお仕事を持ちながら、毎週金・土曜日は信州の小海に来られて、ここを拠点として、たくさんのお米などを集めて、おもに山谷・新宿・池袋の野宿者のために提供する山谷農場(やまのうじょう)の働きを14年間続けて来られた。昨年は8トンのお米が集まって、新宿・池袋・山谷で106865食提供された。
 小海の教会も微力ながら、南佐久郡に配布している月刊「通信小海」で、彼の米集めのお手伝いをさせていただいてきた。親切な人たちがお米や味噌を持参してくださるのである。
 昨晩は、藤田兄が「通信小海」のバックナンバーをお持ちくださって、「これが最初に山谷農場の米の呼びかけが載せられた『通信小海』ですよ。」と見せてくださった。2000年6月号で、「倉庫にお米がありませんか?おなかをすかせた人たちがいます」という文章が載っていた。まだ会堂がなく、借家で礼拝していた頃のことである。懐かしかった。教会のHPを開いたら見つかった。
http://www.church.ne.jp/koumi_christ/tusin-koumi/92.pdf

 高度成長期の1960年代、地方から多くの若者たちが「金の卵」といわれて日雇いの労働力として東京山谷に集まってきた。山谷には労働者たちの寄せ場があったからである。この人々が、東京の道路、橋、ビルといった、都市としての東京の基盤を整備したのである。
 それから40年〜50年がたって、かつての若者たちは年を取り、平均年齢65歳となって労働市場からはじき出されてしまった。都は65歳以上には生活保護の受給を許すが、65歳未満の人々は拒否すると言う姿勢である。働きたいが仕事がなく、生活保護を受けたくも受けられない。それで日々の炊き出しでなんとか飢えをしのいでいくほかない。こういう人たちがたくさんいる。
 ここ十年の間に携帯電話が普及して、日払い労働者が集められるようになったので、若い労働者は寄せ場のある山谷に集まらなくなっている。
 また、生活保護受給を許された高齢者たちは、それぞればらばらにあちこちのアパートを提供されて住まうようになった。このようにして、野宿者のブルーシートのテントは都内で見かけることが少なくなった。都の努力はわかるのだけれど、かつて野宿をしていたときには、日雇いのおっちゃんたちには仲間がいたのだが、ひとりひとりアパート住まいになったら、みながそれぞれ孤立してしまった。人と話す機会もなくなって、ひとりアパートで死んでいるという人がふえている。身よりもないからニュースにもならない。今、炊き出しにやってくるじいさんたちは、「人と話がしたくて」という人がふえている。
 日本の高度成長を支えた人々が、こんなふうに扱われている。これでいいのか。
 また、追々、藤田さんの働きを紹介したい。

<山谷農場(やまのうじょう)への寄付について>

1.今は、割り箸・未使用切手・味噌・柔らかい梅干・海苔(味付け海苔は不可)を必要としています。衣類は受け付けていません。直接小海キリスト教会にお持ちいただくか、南牧村社会福祉協議会へ。着払いは避けてください。

〒384-1302南佐久郡南牧村大字海ノ口966-15南牧村社会福祉協議会気付 山谷農場

2.カンパにご協力いただける方は、下記山谷農場事務局へお願いします。 郵便振替 00240-4-53796「山谷農場」

3.担当者連絡先 藤田寛 電話090-1436−6334
  メールnyoro@beige.ocn.ne.jp