苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

がっかりしそうになるが

 野田首相がNY国連本部で演説をした。脱原発には一切触れず、休止中の再稼動させ、原発の安全性を最高水準に高め、そして海外への原発輸出ビジネスを推進するのだそうである。そもそも事故原因もわからず、核燃料が今どこにあるのかさえわからず、「冷温停止した」とウソをつくほかないような日本の原発技術力で、どうやって「最高水準の安全性」をめざすのか。
 野田首相は、代表選のときには「脱原発依存」のポーズを取っていたが、本音は「原発推進」なのである。だから、あれだけ怒り狂って、「浜岡停止」「脱原発」を打ち出した菅直人前首相を罵倒していた米倉経団連会長が、同じように「脱原発依存」を言っていた野田首相をニコニコ顔で支持すると表明したわけである。野田首相は裏で米倉氏の手をにぎって、「自分の本音は原発推進です」と伝えていたとしか思えない。
 米倉氏が大臣たちを測る価値基準は要するに、「財界の儲けを最優先としているかどうか」である。経団連経済同友会といった財界を飼い主とする政権は、金銭欲でこの国を滅ぼしてしまうだろう。国民にとって経済が重要であることは、無論否定しないが、経済が最重要であるという経済偶像化は国家を滅ぼす。人の話をよく聞くとか、重厚篤実といわれる首相個人の人柄はさておき、結局は何を措いても国を豊かにするのはカネなんだとしか考えられないとすれば、その精神の貧困は、まことに残念。

「わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。ただ衣食があれば、それで足れりとすべきである。富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陥るのである。金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。」1テモテ6:7−9

 このことばは、単に個人の話ではなく、経済中毒のこの国の運命をも示している。がっかりしそうになるが、我々としてはそういうことにならぬようにとりなし祈らねばならない。