苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

しんしんと冷える春の夜

 昨日、今日とひどい寒の戻りになった。標高千メートルを超える南佐久郡は、深夜から明け方にかけて氷点下2度から3度まで下がる。川上村の梓山は今夜午前三時氷点下6度まで下がりそうだと予想されている。今年は春が異様に早かったので、多くの農家はすでに高原野菜の苗を植えつけてしまっているから、苗が凍みてしまうと苦労が水の泡になってしまう。たいへん気の毒なことになる。

 農業はお天気次第という部分が多くを占めており、人間の都合や計画だけではことが進まない。だが、それは人間が謙虚にさせられ、祈らないではいられなくさせられる大事な経験でもあるのだろう。ミレーの「晩鐘」にあるように、一日の労を終えて、教会の鐘を聞きながら一日の感謝を神にささげる人となるために。

 いやほんとうは農業だけでなく、あらゆる営みが主の許しのなかで与えられているのであるが、ついついそれを私たちは忘れてしまう。

 「聞きなさい。『きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう』と言う人たち。あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎません。
 むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。』。」ヤコブ4:13−16