東京基督教大学学長、山口陽一師の「日本キリスト教史三講」が視聴できます。
昨年秋、北海道聖書学院に特別集中講義においでいただいた牧田吉和先生の『改革派神学入門 改革派信仰とは何か』を読みました。先生が、ご自分が書いた本の中で一番読んでほしいと思う本だとおっしゃっていたものです。
「人のおもな目的は神の栄光をあらわし、神を永遠に喜ぶことである」とありますが、従来、改革派神学はこの前半「神の栄光をあらわす」ことに集中して営まれ、後半の「神を喜ぶ」ことを忘れていたのではないか、という改革派信仰者に対するチャレンジの書だと思いました。
「神の栄光をあらわす」という前半だけであると、その信仰のありかたは、その徹底性ゆえに、どうしても抽象的・律法主義的な傲慢に陥る嫌いがある。しかし、本来改革派神学は、神の前に、神を喜び生きる信仰なのである、ということです。
昨秋のお交わりの中で、牧田先生はしきりに私の思想が先生の思想に似ているとおっしゃいましたが、その通りであると思いました。私が「神を愛するための神学」を志し、追求してきたのは、主を求め始めたばかりの私が上の問答の前半だけ聞きかじって愚かしい傲慢に陥ったという苦くて恥ずかしい経験が出発点なのです。
牧田先生がつねに喜びに満ちて神学生たちと対話する姿が、その神学の現れであることがわかりました。
苫小牧福音教会は、礼拝スペースが比較的広いので、説教卓から会衆席まで十分に3メートルの距離がとれるので、アクリル板のついたてはしていませんでした。客観的には必要ないのかもしれませんが、人によっては不安を感じる場合もあるので、遅まきながらこのたび、アクリルついたてを立てることにしました。ただ説教卓のかたちが複雑なかたちなので、いろいろ考えて足は手作りしてみました。
材料は、近所のホームセンターで買った厚さ3ミリのアクリル板と、1×4材一本、それから厚さ4ミリのベニヤをほんの少しです。考えるのはだいぶ時間を使いましたが、作業時間は1時間少しかな。
今朝、苫小牧の駅でけんかをして、目から火が出て、たんこぶができました。相手はピカピカに磨かれたガラスの扉。水も氷もシップもないので、「そうだ!」と思いついて、ガラスと和解して冷たいガラス窓にたんこぶを密着させて冷やしたら、かなり腫れが引いてきました。それを見ていたおじさんが、気の毒がってウェットティッシュをくださったら、これがアルコール入りだったのでしょうね、ひんやりとしてさらに腫れが引いて、少し赤い程度になり、神学校のチャペルも無事にできました。
家に帰ったら、「たんこぶには砂糖水でしょ」と言われて、濃い砂糖水をたんこぶにぬりました。これ、なぜか知らないけれど、たんこぶに効くんだそうです。小海の幼稚園の先生に教わりました。今度みなさんも、たんこぶができたら、試してみてください。単なる迷信かなあ。
<追記>
こういう説明がありました。
「たんこぶには砂糖水」甘い物、糖質には細胞の緊張を緩める作用がある。たんこぶによって固くなった細胞を砂糖が緩める働きをするため、血液の循環が良くなる為、腫れが早く引き、痛みの治まりも早くなるようです。また、砂糖には消毒作用もあります。砂糖の濃度が低いと効果が薄いので、粘り気を持たせる程度で。溶かしガーゼを浸し、患部に当てます。刺が皮膚に刺さり、中に入り込んで抜けにくくなった場合にも、砂糖水を塗ると筋肉が緩み刺が抜けやすくなるようです。