苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

隣国との付き合い

箴言17:14

争いの初めは水が吹き出すようなものだ。
 争いが起こらないうちに争いをやめよ。

 日本政府と韓国政府の争いが、ひどいことになって、民間にも巨大な被害をもたらそうとしている。山本さんが、「国と国には、それぞれの歴史や文化の理解や軋轢はあるものですが、引っ越すわけには行かないのだから、小学校5年生みたいな喧嘩をせず、大人になってまあまあうまいことやれよといいたい。相手が仮に無礼であっても、こちらはあくまで紳士的にというのが、外交の鉄則。」「また内政がうまく行かないと、対外的対立に国民の目をそらすというのは、権力者たちの古典的手法であるが、そんなふうにも見える。」というのが本当だと思う。対韓輸出は6兆円、輸入は5兆円だそうで、困るのは国民である。


 また、「美味しんぼ」の雁屋哲さんの記事があった。抜粋しておきます。将来の展望については私は判断する力がありませんが、ジンゴイズムについての指摘は、その通りだなと思います。出典は下のとおり。
http://kariyatetsu.com/blog/2930.php?fbclid=IwAR2sTxE6GwexwqHeh44BgWo6h_GmkrAjsAaMemBiu4WGVlhqQJhqWSslOmE

2019-07-23

第2次半導体戦争

1989年日本とアメリカが日本の輸出超過による貿易摩擦でもめていたときに、当時のソニーの会長、盛田昭夫石原慎太郎の共著「『NO』と言える日本」という本が話題になってよく売れた。

その中で、石原慎太郎は、大略次のようなことを言った

「日本の半導体がなければ、アメリの産業は動かなくなる。アメリカが日本に難題をふっかけてきたら、半導体を売ってやらないと言えば良い」

私はそれを読んだときに、驚きあきれ果てた。確かに、当時日本の半導体産業は栄えていて、世界中の市場を席巻していた。しかし、その半導体なるものを発明して、半導体産業を作り出したのはアメリカである。当然、半導体製造の基本特許の多くはアメリカが保持している。日本がアメリカに半導体を売らない、などと言ったら、アメリカは半導体の基本特許を日本が使うことを許さない、と反撃してくるだろう。大体、なぜ日本以外の国が半導体を作れないなどと思い込んでいたのだろう。(中略)この、無知蒙昧な思い上がりは、度しがたい。

(中略)

現在、日本の半導体業界は韓国の後塵を拝することになって久しい。アメリカに半導体を売ってやらないと、石原慎太郎が威張ってから20年後には、今度は韓国が日本に半導体を売ってやらないと言ったら日本は困ることになる。日本は韓国に負けたのだ。

日本人は韓国と中国の技術に対して認識が足りなさすぎる。私は2000年頃に、電通の主催で、東京と沖縄をインターネットテレビ通話で結んで話すという催し物に参加したことがある。私はもとWBCスーパーライト級世界チャンピオンだった浜田剛史さんと親しく、沖縄出身の浜田さんと一緒に沖縄の人達と話をしたのだ。その時、驚いたのは、テレビ電話通信の技術を担当していたのは全部韓国人だったことだ。その時のテレビ通話は韓国の技術でなければ出来ないのだという。私は一般の日本人と同様に当時は、日本の方がインターネットなどの技術は進んでいると思い込んでいたので衝撃だった。何人かの韓国の技術者と英語で話したが、彼らは日本のインターネット網が遅れていてスピードが遅いので、テレビ通話がなめらかに行かないとこぼしていた。私はその時初めて、韓国の技術が進歩していることを思い知らされた。

サムスンはその頃から半導体事業でめきめき伸びていった。テレビも液晶テレビを進めていた。当時、世界的にSONYのテレビが一番良いとされていて、世界中何処に行ってもコンピューターのモニターはSONYと決まっていた。ところが、SONYは自分たちのトリニトロン・ブラウン管のテレビが最高の画質であって、液晶テレビを馬鹿にして、手がけようとしなかった。ところが、液晶テレビを韓国・台湾の技術者たちが進歩させて、最初の内こそ画質はトリニトロンの方が良いこともあったが、その優位さは直ぐに失われてしまった。いまや、テレビはことごとく液晶式でブラウン管のテレビなど、博物館にでも行かなければ見られない。

SONYのその態度は、日本人によく見られるものである。一つの成功が次の取り返しのつかない敗北を招く。成功に酔うと、そこで満足してしまって、次への発展を怠けるのだ。今や世界中何処に行っても、テレビと言えばサムスンか、やはり韓国のLGだ。そして半導体も、韓国が世界一の座を占めるようになった。

韓国の半導体産業も、日本の東京エレクトロンの製造機械を使っているが、その東京エレクトロンの人間がかつて言っていた。「韓国はとにかく決断が早くて直ぐに行動に移すからこちらとしてもやりやすい。日本の会社は、やれ稟議だ会議だなんだと、なかなか結論を出してくれない。これじゃ、日本の会社が韓国に負けるわけだ」

 1991年に石原慎太郎は、「アメリカが難題をふっかけてきたら、半導体を売ってやらないと言えば良い」と言った。

その半導体は今どうなったか。

日本が売りたくても、日本の半導体など、よほど特殊な物以外はアメリカにも買ってもらえない。

半導体は産業の米、と言われている。日本は韓国の技術と、韓国の会社の指導者たちの果敢な実行力の前に敗れてしまった。いま、JDIという半導体会社を日本の総力を挙げて運営しているが、上手く行かない。韓国と中国の技術と、彼らの実行能力の高さは凄い物がある。

(中略)

 で、こんどの日本政府の韓国に対する輸出規制問題だ。

日本は、半導体を作るのに欠かせない、「レジスト(感光剤)」、「エッチングガス(フッ化水素)」、「フッ化ボリイミド」とい三種類の半導体材料を規制するという。

私は日本の政府、安倍晋三首相の周辺の愚昧さにはあきれ果てて声も出ない。その三種類の半導体材料は、現在は確かに日本の市場占拠率は高い。しかし、これはいつまでもその事情が続くわけがない。すでに、韓国の半導体製造企業体は中国から、フッ化水素を輸入することに決めた。韓国と中国が本気になれば、遅かれ早かれ、その三種類の半導体材料は日本より安い価格でいくらでも作れるようになるだろう。

 大体、なぜ日本が半導体産業で韓国に負けたのか、その理由をきちんと考えなければならない。町の本屋に行けば、嫌韓、嫌中の本が一番良い場所に平積みになっておいてある。それらの本を読むと、10年以上前から、中国と韓国の経済は破綻すると書かれている。ところが、経済がどんどん傾いていたのは日本であって、とっくに破綻しているはずの中国が日本の数倍のGDPを誇るようになってしまった。それでも、いまでも、中国の経済が明日にでも破綻すると書かれた本が並んでいるのが不思議だ。

現実をきちんと見ることが出来ずに、ジンゴイズム(Jingoism,自分たちの民族が一番だと思い上がって、他民族を蔑視しようとする、偏狭な立場)に駆られて、さらに、近年の中国と韓国の経済的成功を目の前にして激しい嫉妬を燃やして、嫌韓、嫌中本を書く輩がいて、またそう言う浅ましい本を買う人間がいるという悲しい社会になってしまったのだ、我が日本国は。

 さて結論だ。

今回の安倍政権の「韓国に対する輸出規制」は第2次半導体戦争の敗北を日本にもたらすだろう。韓国の技術力と、経営力と、何よりその行動力で、その三種類の半導体製造材料は自前で作れるようになるだろう。中国も韓国に協力するだろう。そうなれば、もはや日本の出る幕はなくなる。

 (中略)

韓国に対する輸出規制は、勝算の無い喧嘩をふっかけたようなものだ。初戦は勝つかも知れない。しかし、1〜2年の内に形勢逆転して最後には負けるだろう。日本は負けて、何もかも失うだろう。

 

 

夏が来ました

 「今年は、スイカを食べたい日が来るのかなあ。」と家内と話していましたが、ついに今週、苫小牧にも夏がきました。昨日はスイカを買ってきて、食べました。長細いタイプの小ぶりのスイカです。夫婦だけだし、大きいと冷蔵庫に入りませんからね。それから、そうめんも食べました。神戸や東京に住んでいたころは、夏は毎日毎日冷や麦やそうめんを食べて、「もう飽きた」という風になったものですがねえ。

ある姉妹のお葬式

 昨日は、教会のメンバーである女性Mさんのお葬式がありました。Mさんは若い日に牧師であるお父さんから洗礼を受けましたが、ご本人にとっては半ば強制的だったという気持ちがあり、数十年にわたって教会から離れて生活をしていらっしゃいました。でも4年前に重い病を得てから、神様に心の扉を開くようになり、私は3年前からMさんを病床に訪問するようになりました。
 Mさんは、「神様のことを知っていながらずっと背を向けてきた自分のような者が、神様に赦され神様の子どもにしていただく資格はあるのでしょうか。」と何度も問われました。ちょうど、ルカ伝15章のあの弟息子が父の許に帰った時、「私には子と呼ばれる資格はありません。」と言ったように。
 でも、あの父親は息子が出奔してから、ずっと待ち続けていました。そして、彼が帰ってくるといの一番に見つけて駆け寄り、抱きしめて、接吻してやみませんでした。息子の手に子としての証として指輪をはめてやりました。そして祝宴を始めました。神の愛は、そのような愛です。何度もこのことをお話ししました。召される二週間前、Mさんは、「罪ゆるされたことで十分です。」とにっこりされました。
 お葬式には、40名の方たちが集いました。そのとき、上のことをお話しました。今回、私は、最後の「『さあ、祝おうではないか。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから。』こうして彼らは祝宴を始めた。」ということばに捕らえられました。ああ、地上では別れの涙を絞っていても、あちらではMさんを歓迎する祝宴が開かれているのだ、と。
  昨日夕方6時、お葬式すべてがおわって帰宅しました。夕食後、腰が痛いので、船着き場まで夜の散歩をして治療。このところちょっと忙しすぎて、散歩する時間を作れなかったら、てきめんです。シップをはって寝たら、今朝は、だいぶ良くなっています。
 苫小牧には、こないだの日曜日からようやく夏が来ました。
きょう、8月になりましたね。さすがにくたびれて、午前中2時間ほどぼーっとして、それから次の主の日の準備をして、お昼は愛妻弁当です。
 

アベノミクスは本当にすごい

アベノミクス、本当にすごい。

世界一安い賃金で、
世界一の労働時間働いて、
世界一低い成長率を達成した。

ことはお知らせした通りである。

そして、この間、政府負債(無限金融緩和策による国債発行残高)額は、倍増し、1千百兆円(地方債を含む公債残高)を超えている。

これだけ至れり尽くせりして、成長率を抑えることは、
本当に難しいと思う。

本当に大したものである。
(どこにお金を突っ込んでしょうね。(債権債務の多くは、日銀当座預金、企業内留保で眠っていることも確かだが))

 

北川高嗣

 

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 いや、もっとすごいと思うのは、こういう実情を統計不正まで使って覆い隠して、都合の良い数字だけならべて、「アベノミクスは成功だ」と胸を張れる神経である。現実を直視せず、ごまかしごまかし・・ということでは、国の進路を誤らせ、多くの国民を不幸にしてしまうだろう。その昔、撤退を転進、惨敗を勝利と言い換えて、この国を滅びに導いた軍部のように。

 

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夕方、久々に晴れたので、船着き場まで妻とロダと散歩に行きました。歩きながら、きょうたまたま聞いて感動してしまった中島みゆきさんの「糸」という歌を少し歌って聞かせようとしました。

なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語

縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない ♪ 

  でも、信州で生まれ育った妻と神戸で育った自分が東京国立の神学校で出会った不思議、ともに教会に仕えて歩んできた日々が思い合せられてしまって、胸がつまって歌えなくなってしまいました。これがこの名曲の難点。
 船着き場に来ると、ちょうど三年前、大洗から苫小牧に来たさんふらわー号が出航するところでした。
 帰り道は、鼻笛で最後まで吹いてみました。プーピ~♪


糸/中島みゆき(Cover by コバソロ & 安果音)

歌の続き

なぜ生きていくのかを 迷った日の跡のささくれ

夢追いかけ走って 転んだ日の跡のささくれ

こんな糸がなんになるの

心許なくてふるえてた風の中

縦の糸はあなた横の糸は私

織りなす布はいつか誰かの

傷をかばうかもしれない

縦の糸はあなた横の糸は私

逢うべき糸に出会えることを

人は仕合わせと呼びます

 

人権論の思想史

 思想史上、人権について論じ始めた思想家は英国のジョン・ロック(1632‐1704)です。彼は『市民政府論』の中で、創世記9章の大洪水後の神の宣言に基づいて、自然権とは創造主が人間ひとりひとりに生まれながらに与えた権利であるとしています。ロックによれば、創造主の作品である人間は、自然状態においては自由かつ平等であり(4)、人間は、他人を愛することと自分を愛することとは同様に義務であるという自然法の下に置かれていたのだとします(5)。

 聖書に根拠を置くロックの人権論は1776年のヴァジニア権利章典に反映して、「すべての人は生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の権利を有するものである」と表現されています。それが同年の米国独立宣言に反映して、「すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、その中に生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる」となります。

 米国の独立戦争に従軍したフランス人たちは、これらの宣言文を持ち帰り翻訳したので、フランス革命における「人および市民の権利宣言」(1789年)に、これらの思想が影響を与えました。ただし、フランス革命ジャン・ジャック・ルソーの影響を受けて反キリスト教的性格が強かったので、人権宣言には人権の付与者として聖書の創造主を登場させません。代わりに「譲渡不能かつ神聖な自然権」とか「至高の存在の面前でかつその庇護の下に、つぎのような人および市民の権利を承認し、かつ宣言する」というせいぜい理神論的な表現になっています。次のような具合です。

「序文 国民議会は、至高の存在の面前で、かつ、その庇護の下に、つぎのような人および市民の権利を承認し、かつ宣言する」

「第一条 人は、自由かつ権利において平等な者として出生し、かつ生存する」。

 フランス革命では、カトリック教会は大弾圧を受け、多くの司祭たちは粛清されています。代わりに、ルソー『社会契約論』をバイブルとした生真面目なロベスピエールが司祭となって「至高の存在」崇拝を行なっています。

 つまり、近代思想における「人権」は、その出所はもともと聖書なのですが、段々と理神論化・世俗化し、ついに異教化されたというわけです。人権は、国家権力を超越した創造主を根拠とすることによってこそ、国家に優越すると主張することができたのです。ところが、世俗化されて創造主を根拠としなくなると、結局、国家権力者の絶対化、国家崇拝ということに逆戻りしてしまいます。フランス革命の思想的系譜の中にロシア革命、中国革命などが起こりますが、それぞれスターリン崇拝、毛沢東崇拝が生じたのは偶然ではなく必然です。

 近代日本の場合には、吉田松陰は「一君万民論」を唱え、天皇の前に、すべての国民は平等の権利を有するとしました。フランス革命における「至高の存在」、共産主義革命におけるスターリン毛沢東の位置に天皇が置かれているわけです。ただし、天皇とこれらの共産主義革命の指導者たちとの違いは、共産主義革命の指導者たちは一代限りの軍事的政治的指導者であったのに対して、天皇は(ある程度フィクションですが)「万世一系」の伝統を根拠とした権威であるという点です。

 自民党は野党時代2012年4月に憲法改正草案とその解説をネット上に発表し、そこには、彼らの「本音」を表現しました。自民党は天賦人権論には立たず、国賦人権論に立つと公言します。国賦人権論とは、簡単に言えば、人権というのは、政府が国民に対して与えてやっているかぎりのものなのだから、国民は政府の言うことを聞けという主張です。自民党は、近代の人権思想の成果も、権力の横暴から人権を守るための憲法という立憲主義も捨てますというのです。しかし、これでは「日本は近代国家をやめます」と世界に宣言しているようなものです。それでいいのでしょうか。

苫小牧通信7月号が出ました

 苫小牧通信7月号が出ました。苫小牧民放に昨日(7月24日)に入れてもらいました。今回のテーマは「世界初の麻酔手術」です。先週、住吉町の皮膚科でおなかにできたお出来を切除してもらって、アダムのことを思い出したので、創世記2章の話を書いてみました。

 

 苫小牧通信7月号はこちらで読めます。
https://docs.wixstatic.com/ugd/2a2fcb_3aee523324c94cb8ae45f8502b6ddb45.pdf