苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

2019年度の教会のみことば

春らしく、教会看板もようがえ。こちらは妻の係。

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大きな障子紙に、2019年度のみことばのお習字をしました。会堂の右前に掲げます。うーん、「御」が小さく「霊」が大きい。大きな字は難しいんです。縦1メートル50センチくらいかな。

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『失われた歴史から』が4月25日に刊行予定です

 家内がおもしろいと言ってくれるので、きっと面白いと思います。よかったらご一読ください。

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 「まえがき」より

私たちは今、二度目の歴史を生きています。神は無から世界と人を創造し、「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」(創世記1:28)とお命じになりました。しかし、人は悪魔に誘われて神に背を向けて罪に罪を重ねて、ついに大洪水で滅ぼされてしまいます。これが一度目の歴史でした。大洪水の後、神は人類の再出発にあたって「あなたがたは生めよ。増えよ。地に群がり、地に増えよ。」(同9:1)と再び命じました。さあ歴史のやり直しだとおっしゃったのです。

 事実、創造から大洪水に至る記事と再出発とバベルの塔の記事に注意深く耳を傾けるならば、そこには、神ご自身のこと、神の被造物に対するご配慮、「神のかたち」において造られた人間の尊厳と罪そして希望、結婚と家庭、悪魔の誘惑、文明と神の民の生き方、国家権力の問題など、私たちが今の歴史を生きる上で重要なさまざまの話題が濃縮されています。

 そこで、本書で私たちは創世記の一章から十一章に現れる諸々の話題を取り上げて、聖書全体の教えを鳥瞰しつつ、現代に生きる私たちに対する主のみこころを探り求めたいと思います。本書は創造からバベルまでの連続説教ではなく、むしろ、創世記一章から十一章をたどりつつ、「神のご計画の全体」(使徒20:27、新改訳第三版)を読み取ろうとする試みです。

 

スマホや携帯が発する電磁波の脳への影響

ワイズマン科学研究所は、人の身体が携帯電話の電波にさらされ続けることによる健康被害について研究結果を発表しています。15分でも携帯電話を使用することで脳細胞に変化が起き、ガンを発生させる可能性があるということです。とくに、成長期の子どもにとって、携帯、スマホは危険です。

 そこで、携帯・スマホを使用するばあいの11点が挙げられています。

1 通話は短めに切り上げるよう心がける。 

  1. 2 使用しない時は「機内モード」に切り替える。
  2. 3 電話が着信中は耳に近づけず、相手が出てから耳に当てるようにする。携帯電話は通信を確立する際に最も電波を発信します。
  3. 4 電波の状態が良い状態をなるべく保つ。携帯電話は電波の受信状況が悪くなればなるほど強力な電波を発信し続けます。
  4. 5 睡眠時にはベッドのそばに携帯電話を置かないようにする。
  5. 6 なるべく身体に密着させて持ち歩かないようにする。できればカバンの中などに入れて運びましょう。
  6. 7 携帯電話のアンテナ部分をカバーなどで覆わないようにする。
  7. 可能な限りヘッドセットやスピーカーモードを使用し、携帯電話を頭部に近づけないよう心がける。
  8. 8 耳につけて使用しなければならない場合は、できるだけ左右の耳を交互に使用するようにする。
  9. 9 子供がいる人は、緊急時を除いて極力長い時間携帯電話を使用させないよう心がける。子供の脳は成長しており、電波の悪影響をもっとも受けやすいそうです。これは過去の様々な研究でも実証されています。
  10. 10 電波を遮断するフィルムなどを使用しない。このようなグッズは単純に電波を阻害するだけであり、結果として電波をキャッチできなくなった携帯電話からはより強力な電波を発信しようとしてしまいます。
  11. 11 電波を遮断するフィルムなどを使用しない。このようなグッズは単純に電波を阻害するだけであり、結果として電波をキャッチできなくなった携帯電話からはより強力な電波を発信しようとしてしまいます。

  詳細はこちら

www.chietoku.jp

神学生たちの思い出

 今日は安息年研修で来ているM牧師と朝は教会のトイレにペーパータオルフォルダー3個の取り付け作業をしました。お昼、家内が作ってくれたお弁当を食べたあとは、卓球をやりました。私が2連勝したあと、M牧師2連勝。前半スマッシュがよく決まったのですが、後半、笑いすぎてくたびれて集中力が切れました。卓球は、なぜかせこいいたずらを色々したくなるスポーツで、お互いのせこさに笑いすぎて、おなかがよじれました。 そのあと勉強をして、訪問者とお子さんのことについて面談をしているうちに、日が傾きました。 最後の晩なのでうちで夕食と相成り、パエリアを食べました。

 食後は古い写真の中から、小海の時代に研修に来てくださった神学生たちの写真をみました。結構、多くの神学生たちが訪ねてくださったのだなと、改めて思いました。多くの神学生の写真や動画を見ましたが、一番インパクトがあったのはボサボサ頭でやって来たので、私が丸刈りにしてあげたH神学生かな。草刈りのうまい神学生、水泳の上手な神学生、いっしょに冷たい相木川で泳いだ神学生、半ズボンにサンダルでやってきた神学生(たいていは夏でもスーツで来ます)、畳の部屋の真ん中で太鼓腹を突き出して寝ていた汗っかきの神学生、すでに完成した説教者の観のあった神学生、いつもおどけていた神学生、紙芝居の登場人物の顔をなぜか青く塗った神学生、50時間の組織神学集中講義に耐えた神学生・・・それぞれが今は沖縄、鹿児島、山形、東海、北陸などあちらこちらで、主のために働いていることは感謝なことです。

 この春には、HBIから二人の神学生が卒業し、それぞれに遣わされます。

 そうそう、東京基督神学校で教会史を担当していたとき、インフルエンザで最後の授業ができなかった分を勉強したいといって数名の神学生たちが車に乗り合わせて、信州小海まで来てくれたことがありました。その中に、後に(今回訪ねてくださった)M牧師と結婚をすることになったT姉がいたのでした。明日、M牧師は千葉に帰ります。

 

その都度、主の声に耳を傾ける

人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、その人の歩みを確かなものにするのは主である。箴言16:9

  本日のデイリーブレッドに引用されたみことばです。

 神学の営みということが、時に、神を自分の考えた枠組みの中に押し込めようとするものになってしまうことがあります。たしかに、神は聖書のうちにご自分とご自分のみこころを私たちが知ってよい範囲で啓示してくださいましたから、私たちは聖書を丁寧に読んで、その真理を整理することは許されています。けれども、神学の営みは聖書のマニュアル化のようなものだと思ったら、根本的な間違いです。聖書自体が、それを拒否しています。

 私たちは、聖書のみことばに耳傾けつつ、その都度、活ける神と向かい合うことがたいせつです。

 荒野で民が水がないと騒いだ時、主はモーセに岩に命じよとおっしゃったのに、モーセは岩を打って水を出そうとして、主に叱られてしまったという出来事がありました。モーセは以前に、「岩を打て」と命じられて水を出した経験があったので、今回も同じことだと高を括ってしまった結果でした。

 キリスト者としての生活が長くなってくると、主のことばをちゃんと聞かず、自分の過去の経験に頼ってしまうということがある。それではいけない。その都度、主の前にへりくだって耳を傾けよ、ということを今朝教えられました。

japanese-odb.org

安息年研修で

先週木曜日から安息年研修で、千葉のM牧師が来られたので、多くの時間をともに過ごしています。説教の準備について、教会形成の上で一番大事にしてきたことについて、など質問されて、自分自身を振り返る機会になっています。
昨日は午後、教会ではバイゴル神学生家族送別卓球大会でたいへん盛り上がりました。接戦に次ぐ接戦でした。
 
 
 

『失われた歴史からー創造からバベルまで』の校正中

 出版の株式会社ヨベルさんから、『失われた歴史から』という本のゲラ刷りの二回目の校正を妻と娘がしてくれています。私は大雑把な人間なので、こういう作業がすごく苦手で、やっているうちに「ああめんどくさい。大筋わかればいいよ」と思ってしまって、見落としだらけになってしまうので。

 むかし、自動車免許の適性試験の結果が、判断力と決断力はAでしたが、注意力はCでした。注意散漫ですばらしい決断力のドライバーって、どうなんでしょうね。

 

 それはそうと、今年4月の終わりか、5月の頭に表題の本を出すことになりました。本屋さんに迷惑をかけたくないので、多くの人に読んでいただけたらありがたいなあと思っています。下はまえがきの一部です。

「私たちは今、二度目の歴史を生きています。神は無から世界と人を創造し、「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」(創世記1:28)とお命じになりました。しかし、人は悪魔に誘われて神に背を向けて罪に罪を重ねて、ついに大洪水で滅ぼされてしまいます。これが一度目の歴史でした。大洪水の後、神は人類の再出発にあたって「あなたがたは生めよ。増えよ。地に群がり、地に増えよ。」(同9:1)と再び命じました。さあ歴史のやり直しだとおっしゃったのです。

 事実、創造から大洪水に至る記事と再出発とバベルの塔の記事に注意深く耳を傾けるならば、そこには、神ご自身のこと、神の被造物に対するご配慮、「神のかたち」において造られた人間の尊厳と罪そして希望、結婚と家庭、悪魔の誘惑、文明と神の民の生き方、国家権力の問題など、私たちが今の歴史を生きる上で重要なさまざまの話題が濃縮されています。

 そこで、本書で私たちは創世記の一章から十一章に現れる諸々の話題を取り上げて、聖書全体の教えを鳥瞰しつつ、現代に生きる私たちに対する主のみこころを探り求めたいと思います。本書は創造からバベルまでの連続説教ではなく、むしろ、創世記一章から十一章をたどりつつ、「神のご計画の全体」(使徒20:27、新改訳第三版)を読み取ろうとする試みです。」