苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖徳太子と クリスマス

聖徳太子の誕生
 もう十二年も前のことですが、長野県小海町で教会堂の上棟式の際、大工さんを前に、「イエス様は大工さんでした。イエス様の守りが、皆さんの上にあって安全に工事ができますように。」と話したことがあります。すると、その式のあと、大工さんの一人が、「牧師さん、知ってるかい。大工の神様は聖徳太子ってことになってるんだよ。」と教えてくれました。へえ、面白いなあと思いました。なんでも聖徳太子は、大工さんの曲尺(かねじゃく)の発明者だそうです。
 日本では聖徳太子が大工の神だとされてきたと聞いて興味をそそられたのは、イエス・キリストは、養父ヨセフの家業をついで大工さんをしていたからです。しかも、聖徳太子という名は死後につけられた尊称であって、彼の生前の本名は厩戸皇子(うまやどのみこ)でした。皇子のお母さんが厩の戸の前で産気づいて、そこでオギャアと誕生したので、そんな名が付けられたといいます。イエス・キリストは二千年ほど前、ユダヤベツレヘムという町の馬屋(厩)で処女マリヤから誕生したのです。厩戸皇子誕生の六百年ほど前のことです。もしかしたら、何かつながりがあるかもしれません。
 少々調べてみたところ、フランシスコ・ザビエルが近世(一五四九年)になってキリスト教を日本にもたらすよりもはるか昔に、キリスト教が日本にもたらされていたという説があることを知りました。中国の公式記録としては、ペルシャからの宣教師が中国に来たのは六三五年のことです。当時は唐の時代で、太宗皇帝が中国全土で布教を許したので全土に教会堂が建てられました。また数年前、中国龍門石窟で、もっと古い時代のキリスト教徒の墓が発見されました。正倉院ペルシャのガラス鉢があるように、あの時代、この列島には大陸から多くの人々と文物が流入していて、京都と奈良はシルクロードの東の終着地でしたから、キリスト教だけ入ってこなかったとする方がいかにも奇妙です。
 さらに、厩戸皇子の有力な側近であった秦河勝(はたかわかつ)は、渡来人でありキリスト教徒であったというしるしが残されています。京都最古の寺といえば、遷都以前からからある秦氏太秦寺(ウズマサデラ・広隆寺)で、太子信仰の寺です。「ウズマサ」という読み方は、古代ペルシャで用いられていたアラム語のイェシュー・マシャつまりイエス・メシヤがなまったものだそうです。メシヤとはヘブライ語でキリスト救い主です。太秦寺は今では仏教寺院ですが、もとはイエス・メシヤ寺だったというのです。
 こうしてみると、秦氏によって、キリスト教が日本列島にもたらされ、その影響で、キリストの馬小屋での誕生という出来事に重ね合わせて、厩戸皇子の誕生説話が生まれたという説も、それなりに根拠がありそうです。

*イエスの誕生
 聖徳太子の本体のイエス・キリストの誕生について聖書は次のように告げています。

そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(ルカ福音書2章)

 イタリア半島都市国家ローマから広がったローマ帝国はおよそ二千年前には、地中海世界全体を支配するようになって、イスラエルもまた、帝国に吞み込まれていました。皇帝アウグストは、「木のローマを黄金のローマにした」と言われる有能な人物で、彼が帝国の財政を潤すために実行したことは、属州民に課税するための住民台帳を作ったことでした。その命令ゆえに、民はみな、それぞれ先祖の地に出かけていって、住民登録をしなければならなくなりました。
 ヨセフとイエスを胎に宿したマリヤとは、イスラエルの北部ガリラヤ地方のナザレの町に住んでいて、マリヤはまもなくここで出産するはずでした。しかし、勅令が出たのでやむなく、はるばる先祖の故郷ユダヤ地方の先祖の地ベツレヘムへと旅をしたのです。キリストがユダヤベツレヘムで生まれるということは、その七百年以上も前にミカという人物が、預言して、旧約聖書に記されていたことです(ミカ書5章2節)。アウグストがこのタイミングで、住民登録命令を出さなければ、イエスはナザレで生まれていました。神は皇帝アウグストをも道具として用いて、ご自身の計画を進められたことがわかります。

*飼い葉おけを選んで
 ところで、もしあなたが自分の生まれてくる家を選べるとしたら、どんな家、どんな親を選んだでしょうか?お金持ちで立派な家柄、カッコイイおとうさん、優しいお母さんのもとを選んだでしょうか。
万物の創造主の尊い御子が、この世に人として生まれるとすれば、どんな国のどんな家がふさわしいでしょうか。歴史を支配している神にとっては、ローマ皇帝の子として生まれることも、輝かしい宮廷の清潔な産屋の、黄金で飾られたゆりかごを選ぶこともたやすいことでした。しかし、神が実際に選んだ夫婦は、辺境のイスラエルの田舎のガリラヤのナザレの町の名もない夫婦でした。また、その誕生の場所はよりによってベツレヘムの冷たく暗い馬小屋でした。その寝かしつけられたのは、家畜の飼い葉おけでした。
 もし主イエスが宮廷に生まれたら、会いに行くことができるのは、王侯貴族や金持ちや高位聖職者だけだったでしょう。主は家畜小屋の飼い葉おけにお生まれになったので、誰でも望むならばお祝いに出かけることができました。事実、み使いたちによって、最初に神の御子の誕生を祝いに招かれたのは、ベツレヘム郊外の荒野で羊の番をしていた羊飼いたちでした。
イエス・キリストは、泣いたり笑ったり、怒ったり、悩んだり、傷つけたり傷つけられたりしがら生活している私たち普通の人の身近な救い主として来てくださったのです。毎日がんばっているけれども、人生の重荷にくたびれてしまっている人のために、救い主イエス・キリストさまは来てくださったのです。生きていればいろんな重荷があります。職場の人間関係の重荷、家庭内の重荷、病気の痛みや不安、老後の心配、過去に犯した過ちに対する後悔、死に対する不安や恐れなど、その重荷の中身は人によっていろいろでしょう。
 主イエスはおっしゃいました。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしが、あなたがたを休ませてあげます。」
(マタイ十一章二十八節)

ふけゆく野原のしじま破り
み使いたえなる歌うたいぬ
「天にはみ栄え 神にあれや
 平和は地に住む人にあれ」と

み使い今なおとずれきて
気落ちせる子らに歌を歌う
聞かずや
み神の愛を伝え
慰めを満たす
歌の声を

重荷を背にしてけわしき坂
あえぎつつ上る世の人々
輝かしき日は 見よ 近づく
み使いの歌を聞きやすらえ
          (聖歌125)

(苫小牧通信第2号掲載)

追記>前半に関係する記事・議論はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20090605/1244161665