苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

摂理と赦し

通読箇所創世記44,45章、マタイ13:44-14:12

創世記45:4-8
45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。 45:5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。 45:6 この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。 45:7 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。
45:8 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。」

 自分を奴隷として売り飛ばした兄たちとの十数年ぶりの再会。ついに復讐のチャンス到来、となってしまいそうなところだが、ヨセフは兄たちを赦した。なぜか?彼が格別に寛容な人だったからだろうか。そうではない。ヨセフは、これらのことをなさったのは、主なる神なのだということを確信するにいたっていたからである。兄たちがエジプトにやってきて、彼の前にひれ伏したとき、若い日に見た畑の十二の麦束の夢を思い出してから、あのことも、このことも、幸いも災いも、生も死も、いっさいが神の摂理の下にあるということをヨセフはまざまざと思い知らされるようになっていた。

問27 あなたは、神様の摂理とは、何であると思いますか。
答 神様の、全能で、あらゆるところで今働いている力であると思います。
その力によって、神様は、天と地を、そのすべての被造物といっしょに、
神様ご自身のみ手によってなさるかのように、保たれ、また、支配されるのです。
なぜなら、木の葉も草も、雨も日照りも、
実り豊かな年も、実りのない年も、食べることも飲むことも、
健康も病気も、富も貧しさも、
すべてのものが、偶然にではなく、
神様の父親としてのみ手によって、わたしたちに与えられるのです。



問28 神様の創造と摂理とを知ると、わたしたちにとって何の役に立つのですか。
答 わたしたちが、あらゆる不幸の中でも、忍耐深くなり、
幸福の中では、感謝をして、
未来のことに対しては、わたしたちの信頼できる、お父様である神様に、
全面的に信頼するようになることなのです。
なぜなら、なにものも、私たちを神様の愛から切り離すことはできないからです。それは、すべての被造物が、完全に神様のみ手の内にあり、神様のご意志によらないでは、揺れることも、動くこともできないからなのです。
ハイデルベルク信仰問答 楠原博行訳)