「しかし、あなたがたはわたしに答えて言った、『われわれは主にむかって罪を犯しました。われわれの神、主が命じられたように、われわれは上って行って戦いましょう』。そして、おのおの武器を身に帯びて、かるがるしく山地へ上って行こうとした。 1:42その時、主はわたしに言われた、『彼らに言いなさい、「あなたがたは上って行ってはならない。また戦ってはならない。わたしはあなたがたのうちにいない。おそらく、あなたがたは敵に撃ち敗られるであろう」』。 1:43このようにわたしが告げたのに、あなたがたは聞かないで主の命令にそむき、ほしいままに山地へ上って行ったが・・・」申命記1:41−43
カデシュにあって、主が「上って行け」と命じられたとき、怖気づいた民は上らず、「ならば、君たちは約束の地に入れない。荒野をさまよいなさい」と裁定をくだされると、今度はモーセの反対も聞かずに上って行き、さんざんな目に遭ってしまう。
上るか上らないかは事柄の本質ではなかった。主の御命令に従うか背くかが事柄の本質であった。何をするかではない。主に従うこと、このことが肝心。
ホトケノザが咲き始めました。