苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「言論の自由」の意味を知らない総理大臣

 どこかの国の総理大臣が他党を侮辱するひどい発言をして、それを取り消すように求められたところ、自分には言論の自由があるとのたまわった。彼は言論の自由というものが何もわかっていないようである。

 そもそも、自由とは、「~からの自由」というふうに、束縛する者を定義してこそ、内実あるものとなる。近代社会における「言論の自由」「思想信条の自由」「表現の自由」などといった基本的人権としての自由は、すべて「国家権力の束縛からの国民の自由」を意味している。絶対王政に対する市民革命は、これらの自由を獲得するための戦いであった。なんでそんな戦いをする必要があったかといえば、国家権力は警察権を持っているから、その行使に制限をかけなければ、国民は安心して生活できないからである。

 「言論の自由」とは、「国家権力の束縛から、国民は言論に関して自由である」という意味である。つまり裏返せば、「放送局が何を報道しようと、国家権力は制限してはならない」というのが言論の自由の中身である。「言論の自由」とは、国家権力者自身は、言論の自由を制限されるということなのである。国家権力者は、放送局に圧力をかけるような発言をしてはならないのである。こんなことは常識中の常識である。

 一国の首相が、言論の自由がなんであるかということについてすらご存知ないとは、危険な状況である。

 

北海道聖書学院 卒論試問会

 昨日は、北海道聖書学院の卒論試問会でした。旧約聖書詩篇51篇のダビデの悔い改めの詩篇を扱ったものと、新約聖書ヨハネ第一の手紙4章18節の「まったき愛は恐れを締め出す」を扱ったものとでした。やさしい言葉で、鋭い指摘がされ質問が出されるなかで顔を紅潮させ、ときにしどろもどろになりながら、一生懸命に答えている神学生二人でした。まもなく卒業ですね。がんばれ。

 北海道聖書学院は本科生の定員はわずか5名、三学年で15名という少人数制の神学校です。しっかりと神学全般と聖書釈義を身につけたい方にはお勧めです。教員はみな現場の牧師たちですから、実践に裏打ちされています。

 学費・寮費・食費は東京方面の神学校とは比べ、おどろくほど安いです。関心ある方は方はHPをごらんください。東京ー札幌間(1時間半)の航空料金も私が日常使っているエアドゥとかスカイマークなら、往復3万円程度です。

こちら、ホームページです。

TOP - 新ホームページ - 北海道聖書学院 [Hokkaido Bible Institute]

自由と平等

 今日は2月11日の集いに出かけてきました。思想信条の自由を守るという趣旨のつどいでした。講演をうかがったのですが、その内容は、現政権は憲法改正をスケジュールに入れて、アメリカの下請け戦争準備をしているということ、そして、対外戦争をするために国内の反対運動を抑え込まねばならないので、治安維持法の復活としての共謀罪法を成立させたのだということでした。人を共謀罪で告発するためには、その人の言動を監視する必要があり、現代ではツタヤカードとか図書館貸出カードとかIC定期券とか、そしてインターネットが情報源になっているということでした。こんなわけで、戦争になれば思想信条は制約されるのだから、平和がなんとしてもたいせつなんだというわけで、9条を守ろうということでした。
 治安維持法による思想信条弾圧の実例として、プロレタリアート作家小林多喜二の虐殺事件について紹介されました。時の特高警察によって、聞くに堪えない残虐な拷問の末に、多喜二は殺されてしまったのでした。しかも、その実行者たちは戦後、処罰されるどころか、それぞれに出世して教育長になったり、東京の何区かは教えてくれませんでしたが、区長にまでなったそうです。ドイツとイタリアでは、戦後になって、戦前のファシスト政権のことを被害者に謝罪して、国家賠償をしたそうですが、我が国では一切していないとのこと。

 まあ、ここまでは普通の話でした。けれど、もう一人、初めて聞いたプロレタリアート詩人の詩が紹介され、その最後の部分に「インターナショナル」の歌が出てきて、それを講師がメロディをつけて歌ったのです。その場の人々の中からも歌う声が聞こえました。そして世界の民衆と連帯をという結論でした。がっかりしました。わけもなく共産主義を毛嫌いしているわけではありません。むしろ共産党員の中に尊敬すべき良心的な方たちを複数知っています。では、どういう違和感かというと、共産主義運動の限界とか欠陥について、まだ何も反省していないのかということです。ソ連、東欧、中国、北朝鮮、モンゴル、カンボジアなどでの共産党政府の末路はなんだったのか、ということです。かつて高い理想を掲げて専制君主制を打倒したとたん、今度はプロレタリアート独裁を唱える共産党政府自らが特権階級となって専制的な政治を行って粛清と称しておびただしい犠牲者を出したことについて、反省するところはないのか、という失望と違和感です。「ああいうのは、本当の共産主義ではなかったのだ」で済ませてしまっているのでしょうね。でも、それではダメでしょう。

 聖書から考えれば、人間と人間のつくる党派というものは、抜きがたく利己的であるという原罪を負っています。ですから、王であれ天皇であれ主席であれ総統であれ書記長であれ大統領であれ首相であれ、どんな権力であっても、権限を集中するならば、独裁に陥って暴走して多くの悲惨を国民にもたらすのは必然です。自民党共産党公明党立憲民主党自由党もみんな原罪を負っています。だから、ジョン・ロックモンテスキューは、国家権力は分散して、たがいに牽制し合うという仕組みを持つべきだとしました。独裁は、専制君主制でもダメだし、プロレタリアート独裁でもダメなのです。

 社会の理想には、自由と平等があります。しかし、両立はむずかしい。人間の経済活動を自由に放置すれば、金持ちが経済活動をしてますます金持ちになり、貧乏な人はますます貧乏になります。つまり不平等になります。現代日本格差社会の根本原因は、規制緩和と称する改革で、経済活動を自由に放置した結果でしょう。

 他方、この不平等を抜本的になくすには多数の貧乏人が集団で政府を作り、強力な警察力を背景として、強制的に金持ちから金を奪い取って分配しなければなりません。共産主義革命です。つまり、平等を抜本的に実現するには、強制力を持って自由を制限することが必須なのです。ロシア革命でも毛沢東革命でもポルポト革命でも、反革命分子粛清と称しておびただしい血が流されました。しかも、その社会で共産党は特権階級となり、その体制を維持するために強力な思想統制をしました。

 どんな国家体制であっても、ある程度世論のコントロールをしています。けれども、特に共産主義においては、思想統制を強くしなければ体制を維持できません。なぜなら、自由主義社会は人間だれもが利己的だという情けない現実に根差していますが、共産主義は誰もが利他的であるべきだという高い理想を目指しているからです。国民をその理想に洗脳しなければ共産主義社会は維持できません。

 共産主義者小林多喜二を虐殺した政府は悪いに決まっています。しかし、共産主義者が政権を転覆すれば、資本主義者に対して同じことをはるかに熱心にするでしょう。自らがそういう恐るべき原罪を負っていることを自覚しない理想主義は、危ういのです。

  こんなわけで、自由と平等は二者択一すべきものではなく、バランスをとりつつ、妥協しつつ、牽制しあいつつ、議論しつつ両方を徐々に時間をかけて実現していく政治の仕組みが肝要なのです。権力の分散と議論をもって理想へと時間をかけて忍耐強く一歩一歩進んでいく修正主義こそまっとうな方法です。そういう意味で、自由市場主義で格差が拡張する一方の今の日本では、たしかに共産党は小粒でもピリリと辛い山椒としての大事な役割があるということになるのでしょう。山椒が多すぎたら食べられませんけれども。
 

<追記>
 マルクスユダヤ人で旧約聖書に精通していたということですが、共産主義というのは、聖書から神と神の前の人間の罪の現実を否定したところに生じた思想だということなのかなあという感想をもちます。

 

 

礼拝は神にふさわしいことが肝心

 新改訳2017は全体的にはよく練られた翻訳だと思い、感謝していますが、それでも、残念ながらここはいただけません、というところがあります。

 

 ローマ書12章1節後半を新年度の聖句にしたいと思ったのですが、新改訳2017の「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。」の「あなたがたにふさわしい礼拝」という翻訳は、いただけませんね。「あなたがたの、適切な(理にかなった)礼拝」が直訳です。「ヒューモーン」は属格ですから「あなたがたの」なので。もし「あながたに相応しい礼拝」であれば、「ヒューミーン」となっているはずです。ここの意味は、「あなたがたが、神にささげるのにふさわしい礼拝です」ということです。

 そもそも礼拝というものは、神様のみこころにかなっていること、つまり、神のみこころにふさわしいこと、神様にふさわしいことが肝心なことであって、礼拝をささげる人間にふさわしいかどうかは二の次のことです。礼拝は、神様にささげるものですから、人間の側の自己満足でなく、神様に喜んでいただけることが肝心なのです。

 新共同訳はいろいろと問題のある翻訳だと見ていますが、ローマ12章1節に関しては新共同訳が正解です。「これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」とシンプルで正確です。

 関連して考えると、人間中心の礼拝の考え方、つまり、人間を喜ばせようとする礼拝の考え方は結構ありがちなのではないかと思います。「今日の礼拝は恵まれた」とか「恵まれなかった」という表現を聞いた記憶ががありますが、これは人間が満足するのがよい礼拝でだという人間中心の考え方の現れではないでしょうか。礼拝において、神の前の礼拝者である私たちはほんとうは何を吟味すべきなのでしょうか。

「私は、きょう、心から神を畏れ、神を愛して主を賛美できたでしょうか?」

「私は、神を畏れて注意深く、悔い改めと従順な心をもって、主のみことばとその解き明かしに聞くことができでしょうか?」

「私は、自分の感謝と献身の心をもって、主に喜ばれるささげものをすることができたでしょうか?」

 こうしたことこそ、礼拝に関してまず吟味すべきことです。

 

 

種をまき続けるなら

 

(前任地、長野県南佐久郡小海町の小海キリスト教会が25周年記念文集をつくるそうで、そのための寄稿を昨年秋に求められていたのを忘れていて、慌てて今日書きました。そういえば、5年ごとに文集を作っていました。)

 

 小海町馬流元町の借家で集会を始めて、1年数か月たったころからTさんと一緒に礼拝に集われるようになったEさんが「若い頃、私は『この小海町に教会ができますように』と祈っていたんです。」とおっしゃったことを憶えています。その祈りが、小海キリスト教会の始まりなのでしょう。

 私は大学1年生の終わりに洗礼を受け、イエス様の十字架の愛に感動して献身を志しました。その1年2か月後に、主はマタイ福音書28章の宣教命令をもって「あらゆる国の人々を弟子としなさい」との召しをくださいました。大学卒業後、東京基督神学校に進み、1年生の2学期から友人たちと「日本福音土着化祈祷会 葦原」を作って、毎週月曜日の夕食後、日本の農村部の諸教会から寄せられた祈りの課題を祈るようになりました。戦後、都市に人口が集中し、農村部が忘れ去られているけれども、そうした地域には教会に行く機会も福音を聞く機会すらない人々が取り残されていることは、主のみこころにかなうことではないと神学生たちは考えたのでした。

 神学校卒業後の第一の任地は練馬区の住宅街で、宣教師とともに4年間、その後は私ども夫婦で5年間、大泉聖書教会にお仕えしましたが、その間も、祈祷会の「葦原」は「研究会」と改めて活動を継続していました。そして練馬での7年目から、「神様、私を福音が十分届いていない地域、教会がない地域に遣わしてください」と祈るようになりました。

 9年目の夏、私は松原湖バイブルキャンプの高校生アウトキャンプのご奉仕に出かけました。高校生たちのためのみことばの働きが祝福されることと、私の将来に関する導きがあるようにと祈りました。キャンプではほとんどの高校生たちが信仰決心をし、一緒に奉仕したスタッフからは献身を表明する人が起こされました。このキャンプを終えたとき、「葦原」の仲間だったキャンプ主事の篠田先生と交わる機会がありました。「ビジョンは何なの?」と聞かれて、私は「福音が十分届いていない地域、教会がない地域に教会を始めること」と答えたところ、篠田先生はこともなげに「じゃあ、この小海町に来ればいい。南佐久郡には一つも教会がないから。」と言ったのでした。主の答えだと信じ、決断しました。

 東京にもどると、妻こず江にこの決断について告げましたら、「はい」と従う決断をしてくれました。ですが、当時、6歳の長男がいて、妻はお腹に苑美を宿している上、病を得て一緒に暮し始めた母もいましたから、不安がないわけではありません。そんな妻に神さまは詩篇23篇から「まことに私のいのちの日のかぎり、いつくしみと恵みとが私を追ってくるでしょう。私はいつまでも主の家に住まいましょう。」というみことばをくださって、平安を賜りました。

 南佐久郡、小海町に赴任してからの22年間。今振り返れば、ほんとうに夢のようです。知り合うとすぐにその方の家を訪問したり、田植えをしたり、家庭集会を開かせてもらったり、公民館で賛美の会をしたり、結婚準備会で多くの人に個人伝道をしたり、的を射た方法だったかどうかはわかりませんが、手あたり次第なんでもしました。ですが、ずっと続いたのは「通信小海」でした。「主の羊は主の声を知っている」(ヨハネ10:3参照)、「この町にはわたしの民がたくさんいる」(使徒18:10)と信じて、南佐久郡七千軒の家々に、キリストの福音を充満させたのです。神さまは一人二人と主イエスを信じる兄弟姉妹たちを起こしてくださいました。

 これらのことは、一人の姉妹が祈られた「この小海町に教会ができますように」という祈りに対する、神さまのお答えなのでしょう。主にある兄弟姉妹。これからも、福音の種をまき続け、収穫し続けてください。

 

「涙とともに種を蒔く者は

  喜び叫びながら刈り取る。

 種入れを抱え泣きながら出て行く者は

  束を抱え喜び叫びながら帰って来る。」詩篇125:5,6

チキンラーメン

 チキンラーメンをほんとに久しぶりに食べました。百円ショップに文房具を買いに行ったら、レジにミニ3個入りのがあったんです。ひさびさのせいか、少量のせいか、妙においしかった。ほんとにお湯をかけるだけ。
 いま、即席ラーメンの発明者は安藤百福さんのドラマを朝ドラでしているでしょう。ダイジェスト版を週に一度だけ見ているんです。昔、伝記を読んだことがあるんですが、偉い人ですねえ。
 ちなみにチキンラーメンは即席袋めんランキングで、今も一位だというのも驚きです。発売は1958年。ぼくの生まれた年です。

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シベリアのマンモスと気候変動

 1月29日の記事として、シベリアの永久凍土が溶け出して、マンモスの遺体がたくさん発掘されているということを書きました。50万トンの牙が埋蔵されているだろうということです。しかも、マンモスの遺体はしばしば骨だけでなく、肉も、毛皮も冷凍保存されているとのことです。

 私がこの種のマンモス発掘の記事を初めて読んだのは、たぶん中学1年生のころですから、もう50年も前のことです。学研が発行していた子供用科学雑誌の中に特集されていたのです。シベリアでマンモスの遺体が出てきて、それを発掘に出かけたところ、狼たちが一部食べてしまっていたが、狼を追い払って大きなテントで被い、テントの中でストーブを焚いて作業開始した。ところが、マンモスの肉が腐敗してきて臭くてたまらなかったという記録でした。生物部に所属していた私はこういう記事をワクワクして読みました。

 その記事には、当時は情報が少なかったせいで、シベリアのマンモスたちについていくつかの誤解がありました。一つはマンモスはシベリアで暮らせるような寒帯仕様の哺乳類であるという誤解です。毛皮があるので、そういう誤解が生じたのでしょうが、実際には寒冷地に住む哺乳類にはかならずある皮脂腺というものがマンモスにないことがわかっているので、マンモスは寒帯仕様の動物ではありません。また、マンモスの口と胃袋から未消化の温帯の植物が発見されていることも同じことを示しています。

 シベリアのマンモスの絶滅についての誤解は、発見されるマンモスはたまたま崖に落ちて死んだのだというのです。マンモスの遺体が少数しか発見されなかった時代には、そういう説明も説得力があったのでしょうが、永久凍土が溶け出した今日、マンモスの牙が象牙に代わる産業として成立していることが示すように、埋蔵されたマンモスはまぬけな少数の個体ではなく、シベリアの平原で群れを成して草を食んでいた状態で瞬時に冷凍されてしまったというのが事実です。

 かつて温帯であったシベリア全体が瞬時に急速冷凍されて、以後、ずっと今日寒帯になってしまったというのが過去に起こった事実です。いったい何が起こったのでしょうか?火山の噴火と噴煙によって暗黒化と急速冷凍ということであれば、噴煙が去った後にはまた暖かくなるのですから、これでは説明になりません。可能性としては3つくらい考えられているようです。

①シベリヤも含めて地球全体が「温室」の中にあったが、何らかの原因で「温室」が壊れて全体が冷却されることになり、地域によって熱帯、亜熱帯、温帯、冷帯、寒帯という差が出来た。「何らかの原因」は隕石、小惑星の衝突という説明をする人がいます。

②温帯であった地域が地軸の移動(ポールシフト)によって瞬時に寒帯に移動した。ポールシフトについても調べればいろいろ怖いことが書かれています。

地球温暖化による海流の停止が急激な気候変動をもたらしたという説。海水は地球規模で、表層水と深層水が一本のベルトコンベアのように循環しています。このベルトコンベアの動力は、北極圏の氷の冷却力です。ところが北極圏の氷が溶けると、その水で海水が薄められ、比重が軽くなるため大西洋でいえばグリーンランド沖での海水の沈み込みが無くなって、ベルトコンベアが停止します。すると、メキシコ湾流が停止して北米・北欧から氷河期が始まります。太平洋なら黒潮がストップするわけです。これは映画「デイアフタートゥモロー」で紹介された説です。でも、この説を支持する専門家は少ないそうです。
 というわけで、原因は不明なのですが、とにかく過去にシベリアが暖かい地域であって、それがある日突然、寒冷化したということはじじつです。何があったのでしょうね?

 


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