苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「キリストの真実」か「キリストを信じる信仰」か?

ローマ書3:22の「ディア・ピステオース・イエースー・クリストゥー」を「イエス・キリストを信じることによって」と訳すか「イエス・キリストの信じるによって」と訳すかという議論があります。これについて、下のリンク先に書きました。

ameblo.jp

 

 

 

増永俊雄ロマ書講解説教集『こんなに素晴らしい救い』

 高校を卒業して間もないころの私に、神の栄光を顕わすことこそが人生の目的であることを教えて下さり、大学入学後は1年間にわたって多くの手紙をもって、私に聖書の読み方と神学の手ほどきをしてくださったのは、増永俊雄牧師です。増永先生は、明快にそして正確に情熱をもって、キリストの福音を語る優れた説教者であり、かつ、神学者でいらっしゃいました。ローマ書はとくに先生の、そうした特徴がよく現れていると感じます。

 このたび、先生のローマ書説教集を私のホームページに載せることを許していただきました。下のリンク先をクリックしてくだされば、PDFで読むことができます。表紙の絵は、私が通ったころの懐かしい改革長老東須磨教会の絵です。

https://docs.wixstatic.com/ugd/2a2fcb_33b2c4d796064db59f5107248cb81b85.pdf

 

「王である祭司キリストー贖いの二側面」

福音主義神学会誌に出す論文ができあがりました。タイトルは最終的に、「王である祭司キリストー贖いの二側面」としました。校正に携わってくださった若手のH牧師というまだお目にかかったことのない方が、たいへん緻密な仕事をしてくださって、感心しました。 もと付けていた題名「あれも、これもー贖罪と義認をめぐって」はキェルケゴールの「あれか、これか」をちょっともじったものだったんですが、どうも誤解をまねく恐れもあるなあと思って、やめました。
こんなアウトラインです。

「王である祭司キリストー贖いの二側面」

1.義認の前提としての贖いの教理
(1)対悪魔勝利説
(2)満足説・刑罰代理説
(3)主観説
2.義認についての理解
(1)刑罰代理説と義認
(2)E.P.サンダースとN.T.ライトの「義認」解釈
3.「神の計画全体」の中で
(1)パウロ書簡
(2)聖書全巻を挙げて
結論 あれも、これも

 こんな大風呂敷なので限られた字数の中に収めるのに相当無理がありました。でも、今回、キリストが、十字架と復活によって、祭司として私たちの罪の償いをし、王として悪魔に勝利されたという二つの面が創世記から黙示録まで一貫して流れていることにはっきりと気づかされて、自分として収穫のある勉強となりました。
 近代の敬虔主義的な流れの中では、キリストの祭司性に強調点があり、その辺の物足りなさに対して、近年(といってもニ三十年前から)ライトは、「福音とはキリストは王であるという宣言です」と主張し、したがって、救いは王なるキリストの臣民になることだというのには確かに一理あります。ですが、キリストが祭司として贖罪の犠牲となられたこともまた、明白に聖書的真理です。そんなわけで、いずれも重要な真理で、「あれも、これも」です。キリストの祭司職と王職は、伝道と社会的責任、あるいは、宣教命令と文化命令と直結しています。
 で、ルターとカルヴァンを振り返ってみたら、両者とも、キリストが王である祭司であることを、しっかりと聖書から読み取って表現していることに気づかされ、脱帽という感じです。

三浦綾子文学の講演会

 三浦綾子文学記念館の館長さんが苫小牧のアイビープラザ(文化交流センター)に来て、本日、講演をしてくださいましたので、H兄と一緒に聞いてきました。会場には80名か90名集っていて満席でした。年齢的には還暦以上という感じでした。館長さんは1970年生まれといいますから、会場で一番若かったでしょうね。
 お話は、『草のうた』(少女時代)、『石ころのうた』(戦時下、代用教員時代)、『道ありき』(敗戦、闘病、前川正、三浦光世との出会い)『この土の器をも』(結婚生活・小説家時代)という自伝小説四部作をたどって、作品にどんなふうに反映されているかについて話され、最後に、現代という「不寛容の時代」に「ゆるし」が必要なのでは、と結ばれました。

イチローが走っている山

 NTT西日本のCMでイチロー選手が走っている山は、私の故郷、神戸六甲山系の高取山に見えます。たぶんそうです。この山の南山麓にあった長田高校の山岳部の友人はこの山に「高ラン」と称して駆け上っていました。この北山麓には妙法寺小学校がありました。そういえば、小学校のたぶん6年生のとき、木造の講堂が取り壊されて新しい講堂ができたとき、講堂落成の歌をつくってみんなで歌いました。

1 高取山を前に見る 緑の中にそびえたち

  青い丸屋根 白い壁

  あれがぼくらの講堂だ

  新しいぼくらの講堂だ

2 はるかに青い海を見る  なんたらかんたら忘れましたー

 

 という陳腐きわまりない歌詞でしたけれども。


企業CM「挑戦のその先へ 篇」

 

ジャーナリストが危険な場所に行く意味

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いろいろ議論している人たちがいますが、一番説得力あると思ったのは、この漫画でした。FBで見つけたのですが、何新聞でしょうか?