苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

湯川秀樹『旅人』

  18歳の真夏、友人三木君と一緒に京都の知り合いの下宿屋に二週間泊めてもらって、予備校の夏期集中講座に通ったことがありました。三木君は読書家で社会意識も高い人でした。その時、彼が紹介してくれたのが、この本でした。湯川秀樹の生い立ちから物理学者としての発見に至るまでの半生を旅人に譬えた味わい深い自伝です。その端正な文体が心地よく、その舞台が京都なので、なおさら味がありました。
 湯川の弟に小川環樹という漢学者がいるのですが、湯川自身、昔の教育を受けた人で、漢学的素養というものが理論物理学における発見に寄与するものがあったとか、京都の町の雰囲気もそうだったのだとか、そういうのが興味深かった。
 今も角川文庫で手に入ります。
 

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七つの子

 北海道聖書学院の庭にからすが巣をつくって、今、子育ての時期で気が立っていて、神学生や教員たちが襲われて戦々恐々としています。後ろからつめを立てて襲ってきます。対策として散歩に出かけるときは、ヘルメットを用意するとか、ヘルメットに目玉シールを張り付けようとか朝食のテーブルの話題になりました。

 そんな話をしていたら、「七つの子」というカラスのうたを思い出しました。

「からす なぜなくの からすは山に かわいい七つの子があるからよ

 かわいい かわいい と からすはなくの かわいいとなくんだよ」

  この歌はおだやかな気持ちで謳うのではなく、恐怖にふるえながら歌うべきではないか、などと。

 ところで、「七つの子」というのが不思議な題名で、これはからすの七羽の子どもを意味するのか、それとも七歳の子どもを意味するのでしょうか?からすは七羽も巣で育てているようすはありませんから、七歳なのでしょうか。しかし、七歳といえば、たぶんからすでいえば、立派なおじさん、おばさんでしょう。いや、おじいさん、おばあさんかもしれません。七歳にもなって巣立つことをしないからすの子って、どうなのでしょうか。親もなかなかたいへんです。

 

 

 

 

 

川瀬一馬校註『方丈記』『徒然草』『花伝書』

 高校1年生の冬休みだったか、川瀬一馬校註『方丈記』を通読して、国文学者になるのもいいなあ、などと思ったものです。川瀬一馬先生の経歴に東京高等師範とあったのが、後に進学先をきめるきっかけとなりました。
 川瀬一馬先生は小学生時代に両親を失い、卒業と同時に東京の役所に給仕として就職しますが、特異な才能を見出してくれる人に出会い、東京高師に進むことになります。当時は一高―帝大コースはごく少数のお金持ちの家の秀才だけが行ける超難関で、庶民の秀才が進むの超難関は高師だったそうです。というのは高師は学費支給制度があったからです。先生は、ずっと市井の研究者として多くの研究業績をあげられ、『古辞書の研究』で博士となられます。
 大学時代、川瀬一馬先生にお手紙を差し上げ、その後、一度、実際にお目にかかりました。小柄なおじいさんでした。当時、私は誰にでもキリストをあかししたいと思っていたので、お話したところ、なんと先生もキリスト者だったのです。そして、「わたしの聖書の勉強は渡辺善太全集を読んだだけです。」とおっしゃいました。
 『方丈記』の魅力は、まず、その文体です。「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びてしかももとの水にあらず」。もう一つは、長明と言う人は隠遁者といいながら、隠遁しきれずに、大飢饉、地震、大洪水などで荒廃した都に出かけて行ってその様子をルポルタージュしている点です。古文は苦手と言う若い人も、方丈記なら短く読みやすいのでさらりと通読すれば、アレルギーが治るかもしれません。

 世阿弥花伝書』は「秘すれば花なり、秘せずんば花なるべからず」という演出家としてのリアリズムが面白かった。「花」とは演出効果です。「秘すれば花なり、秘せずんば花なるべからず」というのは、「すばらしいことも秘するのがおくゆかしい」ということではなくて、「大したものでなくても秘することによって、素晴らしいことのように見える」というのですよ。おもしろいですね。

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三冊の本

 国家というもの、天皇制というものの仕組みを理解する上で、役に立った聖書以外の3冊の本。
 葦津珍彦『みやびと覇権』は天皇制と西洋諸国の王制とフランス型、米国型、ドイツ型それぞれの共和制の構造の理解。著者は、明治以降、天皇江戸城に移され、本来の「みやび」の伝統を失ったことが近代史の不幸のもとであるとして、京都御所に帰っていらっしゃいという立場。
 家永三郎『革命思想の先駆者』は自由民権運動の思想的指導者植木枝盛に関する本。岩波文庫には『植木枝盛選集』もある。その思想は、研究者鈴木安蔵を通じて、日本国憲法に流れ込んだ。家永は、相当左寄り。
 エドマンド・バークフランス革命省察』は、英国同時代の保守思想家が見たフランス革命の危うさ。バークは聖俗両方の伝統的価値を否定したフランス革命は、道徳の崩壊に陥り、迷走の末に専制君主制に逆行してしまうと予見し、それが的中したことで名を挙げた。本書はその縮約版。
 自民改憲草案をつくった人々は、保守思想の父バークやトックヴィルを近代天皇制を支持する思想家として援用するが、読み間違えだと思う。バークの思想に照らせば、明治から敗戦までの近代天皇制こそ伝統を破壊する革命思想であったから、その敗戦による崩壊は必然だった。

<同日追記>
『みやびと覇権』は今は手に入りにくいので、記憶していることをメモします。
 国家には統合の象徴的立場の人が必要である。共和制においては、それは大統領や主席が担うことになり、王制においては王が担う。
 大統領や主席の権威の源泉は、国民の直接選挙、あるいは、戦争での勝利者であることである。したがって、その権威は強力であるが不安定である。米国やフランスの大統領は実務と統合の象徴の両方を担う。ドイツの場合は実務は首相が、統合の象徴は大統領が担うという分担をしている。
 他方、王の権威の源泉は、覇権を持つ血統の継承者としてのの伝統である。天皇は大昔の覇王の血統ではあるが、武家政権に覇権をゆだねて久しくなっているので、その権威の源泉は「みやび」の伝統である。ところが、明治維新天皇を西洋型覇王に仕立てがのがまちがいであった。
・・・・とまあ、こんな趣旨であったと思います。

 

 

ことばは神の目を見るように

 聖書通読でヨハネ福音書1章2節を読んで、ずっと前から気になっている「ことばは神とともにあった」という翻訳がやはり気になる。ギリシャ語初級を学んだ時から気になっているから、35年間気になっている。ho logos en pros ton theonというのだが、ギリシャ語で、pros対格は「に向かって」英語なら toとかtowardと訳すのが普通の用法なのだが、ここでは「とともに」withと訳している。ストロングの辞書を見れば、この箇所を用例の一つとして、方向的な意味がなくはないが、むしろ「そばに」という意味でもちいられるという説明がある。英語訳聖書はことごとくwithと訳していて、そのもとになったであろうウルガタはapudである。
 私としては、「とともに」ではあるのだが、御子は父の横ではなく、父の目を見つめるように父に向っていることが父に対する子の位置の理解として大事なのではないかと思っている。イメージとしては生まれたばかりの赤ん坊がはじめて母と対面した姿。

褒めるのでもなく、叱るのでもなく、フィードバックする

 樺沢紫苑さんの動画を見て、メモ。

 褒めて伸ばそう若い芽を、というけれど、褒めるのは結構むずかしい。そして、叱るのもむずかしい。どちらも感情が入ってしまうから。
 褒めるのでもなく、叱るのでもなく、フィードバックするのが有効。
悪かった点3つ
良かった点3つ
を書きだして、次にチャレンジするとき、これらを踏まえて、どこを注意するかを3つ書きだして、取り組む。そうすれば、同じ失敗をしないですむ。

 
 

辺見じゅん『収容所から来た遺書』文春文庫

 第二次大戦後、武装解除された日本軍将兵約60万人がソ連によってシベリア開発のために極寒の劣悪な環境下で強制労働に従事させられ、約6万人が望郷の念を持ちながらシベリアの地で命を落としました。
 その一人に山本幡男さんと言う人物がいました。彼は過酷な状況下にあっても人間らしく生きた人だったので、収容所の友人たちは、なんとしても彼が密かに書いた「遺書」を家族に届けたいと願って分担して記憶し、戦後11年ぶりに日本に帰還すると、遺書を再現して家族に届けたのでした。また、山本氏の短歌、俳句、文章も友人たちの記憶によって復元されて、山本家に届けられました。
 著者辺見じゅんは、この驚くべき出来事を知り、「偉大なる凡人の生涯、それもシベリアの地で逝った一人の肖像を描きたい」と願って、本作をものされました。
 強制収容所という異常に過酷な環境下で、人が人として生きていくことについては、学生時代にV.フランクル『夜と霧』で考えさせられましたが、私にとって本書はこの重い主題を考えさせるもう一冊の本となりました。

 ところで、なぜ60万人もの将兵が大人しくソ連軍に投降し、強制労働に服するということが起こりえたのでしょうか。ソ連が勝手にやったことであるかのように印象付けられて来ましたが、事実は、日本政府が国体護持と引き換えに、彼らをソ連に労働力として提供したからであることが、二つの関東軍文書から明らかになっています。
 詳しくはリンク先で
http://koumichristchurch.hatenablog.jp/entry/20141009/p3

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