苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン8月29日   公理

エゼキエル書33章17節
口語訳
あなたの民の人々は『主の道は公平でない』と言う。しかし彼らの道こそ公平でないのである。


新改訳
あなたの民の者たちは、『主の態度は公正でない』と言っている。しかし、彼らの態度こそ公正でない。


新共同訳
あなたの同胞は言っている。「主の道は正しくない」と。しかし正しくないのは彼らの道である。
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 翻訳上の異同は、新改訳のみがデレクを態度と訳し、他の二つは道と訳していること。
 神の道または態度を「正しくない」と断ずる人間は、自分の主張の足元を崩してしまっていることに気づいていない。なぜなら、神は万物の正邪をはかる物差しそのものでいらっしゃるからである。私たちが「これは正しい」「あれは間違っている」と言えるという事実自体が、神によって支えられている。神の正義は宇宙の公理である。
 

「では、わたしたちはなんと言おうか。神の側に不正があるのか。断じてそうではない。」ローマ9:14