苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

怪力幼児サムソン

そこで女はサムソンに言った、「あなたの心がわたしを離れているのに、どうして『おまえを愛する』と言うことができますか。あなたはすでに三度もわたしを欺き、あなたの大力がどこにあるかをわたしに告げませんでした」。女は毎日その言葉をもって彼(サムソン)に迫り促したので、彼の魂は死ぬばかりに苦しんだ。(士師記16:15,16)


 アキレウスの腱、弁慶の泣き所。サムソンの泣き所は、女だった。彼は悪女に泣かれて、神がくださった怪力の秘密としての長髪のことを明かしてしまった。
 旧約聖書に登場する聖徒たちは、けっして完全無欠な道徳人ではない。それどころか、このサムソンなど、生涯幼児性が抜けず、かなり常道から外れてしまって、身から出た錆で痛い目にあわされてしまう。主のお取り扱いは厳しい。それにもかかわらず、主はサムソンを母の胎にいるときからナジル人とし、士師のひとりとして選んで用いられた。
 あたかも「こんなのも、わたしの作品だよ。面白いだろう。」と自慢なさっているかのようだ。主はなんと懐の広いお方か。

 レンブラントの「サムソンとデリラ」。多くの画家が題材としている場面だが、抵抗するサムソンの躍動感、サムソンの髪を持ち去る女の下から光があたった冷ややかな表情を見れば、レンブラントがぴか一。