「20:19長く町を攻め囲んで、それを取ろうとする時でも、おのをふるって、そこの木を切り枯らしてはならない。それはあなたの食となるものだから、切り倒してはならない。あなたは田野の木までも、人のように攻めなければならないであろうか。 20:20ただし実を結ばない木とわかっている木は切り倒して、あなたと戦っている町にむかい、それをもってとりでを築き、陥落するまで、それを攻めることができる。」申命記20:19,20
リン・ホワイトは、人間を神の代理、自然を支配者として立てるキリスト教こそが環境破壊の元凶であると述べた。そして、人間を自然の一部であるとする東洋的・汎神論的世界観こそ、環境保全のために必要なものであるという。こうした論調は、ひろく行き渡って、環境問題を論じる人々にとって、ほとんど常識のようになってしまっている。
だが、この「常識」は歴史の事実に基づかない観念的な虚構にすぎない。環境破壊の歴史を観察するならば、洋の東西を問わず、破壊の元凶は貪欲(無制限な経済活動)と戦争であったことがわかる。古代メソポタミアでも古代中国でも中世・近世のヨーロッパでも、近代世界でも、環境破壊の元凶は戦争と貪欲だった。そして、現代でも同じである。
また、人間というものは、聖書が教えている通り、一面では自然の一部であるが、他面では自然の外にいて自然に働きかける存在である。この両面をわきまえなければ、正しい意味で環境問題に対処することはできない。
下記のページの2と3を参照されたい。
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20101013