苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神学校

誇りと負債のゆえに―伝道者の召し―

ローマ1:1、14−17、 1コリント9:14−18 2009年6月4日 東京基督神学校チャペル1.「召し」ということば 聖書で召し、召命ということばは、二つの意味で用いられています。 (1)救いへの召し、神の民への召し 召しクレーシスということばは、ひ…

何とかして、幾人かでも

「何とかして、幾人かでも救うために!」(1コリント9:22)元タイ宣教師、渡辺賢治先生のお話はこのパウロのことばから始まった。今日、長野福音教会で開かれた信州宣教区研修会でのことである。穏やかに、しかし、救霊の情熱にあふれて「宣教の使命に生きる喜…