苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

知と愛と

「神を知ることと神を愛することとの間には、なんと大きなへだたりがあることだろうか」と嘆いたのは、パスカルだった。筆者も小さな経験ながら、若い日に似た体験をしたことである。以来、神を知る知識が独り歩きせず、愛という実を結ぶにはどのようなことが必要なのだろうかとずっと・・・そう30年くらい考えてきた。
 高校三年生の秋、一緒に暮らしていた祖母の自殺の第一発見者になってしまってから、人はなんのために生きているのだろうということを考えざるをえなくなった。そして、自分の心の内には冷たい氷のようなものしかないのだ、ということを認めざるをえなかった。その頃の自分の心の中は見渡す限り灰色の砂漠がどこまでも続いていた。そして、空も灰色。
 そんな私に転機が訪れた。浪人生の夏の終わりである。増永俊雄牧師と面談したときのことである。牧師は言われた。
「私が生きているのは、神の栄光をあらわすためです。わたしが神を信じるのも、神の栄光をあらわすためです。」
 光を垣間見た思いであった。翌年一月から私は教会に集うようになり、神を知った。神とは万物の創造主であり、私にいのちを与え、私にも「神の栄光をあらわす人生」を用意していてくださるお方であった。「私の人生は神の栄光をあらわすためにある」。この真理の発見は十八歳の私にとって強烈な体験だった。あまりにも強烈であったために、私はのぼせ上がってしまった。「自分は神の栄光をあらわす人生を歩んでいるのに、他の連中はなんだ。どいつもこいつも無目的にむなしい生き方をしている。」わたしはこの上もなく高慢になってしまったのである。
 そのように膨張しきった日々が半年ほど続いた。ところが、その夏の一日、神戸の六甲山での一夜、私にはげしくキリストの十字架の出来事が迫ってきたのである。
 「わたしはおまえの、その高慢という罪のために、十字架にかかって苦しみ、死んだのだ。」
 私の人生は、神の栄光をあらわすためにある。それは確かに正しい知識だった。しかし、神に栄光をお返しせず、自分のわずかばかり知った真理を誇り、他の人々を見下す、この高慢こそがもっとも大きい罪だったことに、初めて気づいた。キリストの十字架の下で罪ある自分を知ったとき、私はキリストにある謙遜、神のへりくだりの愛を知るようになったのだった。その日から、ほんとうに少しずつであるが、キリストのたどられた困難な愛という道をたどりたいと願う者になったのだった。あれから三十年も経って、なおキリストの愛には遠い者であるけれども。