摂理の書エステル記を読んでいます。舞台はアケメネス朝ペルシャの都スサ。バビロン捕囚にあってユダヤ人たちは、この都に住むようになり、クセルクセス王の時代にはそれなりに成功を収めていたようです。しかし、これを快く思っていない男アガグ人ハマンがいました。王に重要されたハマンは、その権力に物を言わせ、クセルクセス王を取り込んで、ユダヤ人根絶を画策したのです。
気になるのは、それほどまでハマンがユダヤ人を憎んだ理由です。それは1サムエル15章3節に発せられたアマレク人聖絶の命令があります。(神の怒りの背景には、エジプト脱出を果たしたイスラエルの民の中の弱者たちをアマレク人が残虐に切り倒したことに対する神の怒りです。)・・・こういう背景があって、ハマンは、自分に歯向かうモルデカイがユダヤ人であることを知って「イスラエルはかつて我が民族アマレクを絶滅させようとした仇敵である。」という先祖伝来の怨念を思い出し、ユダヤ人絶滅を図ったのです。ユダヤ人には憎き悪人ハマンですが、人間的な言い方ですが、ハマン側の言い分としてはそういうことです。
読みながら、現代イスラエルのネタニヤフ政権と、ホメイニ革命以降のイランの政権の対立と重ね合わせられるところです。別にホメイニ以降の政権がアマレク人ではありませんが、相手国の存在そのものを否定するという姿勢が類似しているということです。特に弾道弾ミサイルはすでに手に入れ、高濃縮ウランは兵器級のものに近づいている状況です。イスラエルの駐日大使は、そのことを取り上げて、自分たちの攻撃の正当性を訴えているのを見ました。
エステル記の趣旨からははずれますが、歴史的の中に生じた民族と民族の対立と相互の憎悪は、世界のあちこちに見られます。解決のむずかしいことです。