1950年6月、朝鮮半島が共産化されそうな状況になりましたが、米国では「アジアの戦争に、もう米国青年の血を流させたくない。」という厭戦気分が満ちていました。そして、「日本の軍隊を朝鮮に派遣せよ」という議論がありました。ところが日本国憲法第9条ゆえに、日本は軍隊を出せないということが判明し、1951年5月3日、マッカーサーは憲法9条制定の事情説明のために、上院に参考人として召喚されました。彼は、そこで戦争放棄を憲法におり込むことは、時の総理大臣幣原喜重郎が発案したと証言しています(『マッカーサー大戦回顧録』)。
1948年末、巣鴨プリズンから釈放してもらっていた岸信介は、米国CIAから資金を得て、1955年、自民党を作りました。そのとき掲げたのが、「自主憲法」「自主軍隊」「自主外交」というスローガンです(ティム・ワイナー『CIA秘録』)。
この経緯が示すように、日本国憲法9条を改変して日本に軍隊を持たせるのは、自民党の悲願であるのですが、その前にあったのは米国の都合です。アジア方面の戦争を日本に手伝わせるために、国憲9条が邪魔になったのです。
こうして見ると、自民党の掲げてきた「自主憲法」「自主軍隊」「自主外交」は隠れ蓑であって、「米国都合憲法」、「米国都合軍隊」、「米国追随外交」のようにも見えてきます。
もっとも同時代、日本共産党の書記長野坂参三はソ連から秘密資金を受け取っていたスパイであったことが後年に発覚して、100歳にして日本共産党から除名されています。あの時代は、米国からもソ連からも、日本にはそういう資金が流れ込んでいたのです。日本の政界は、世界の資本主義と共産主義の縄張り争いの現場だったということです。なんともすごい時代です。
☆9条の発案者については、こちらに詳しく書きました。