「君は傲慢だ。君のまわりには草も生えない。君のような人間はほかに任せられる人はいないから、宮村先生にお願いすることにした。」神学校入学を目前にひかえていた一九八二年三月の初め、私は、土浦めぐみ教会牧師の朝岡茂先生から初めて叱責されました。
「いったい何がまちがっていたんだろう。」私は煩悶しました。「まわりに草も生えないような人間が牧師になっても、ただ神様の福音の邪魔するだけのことではないですか。なぜ私のようなものをお召しになるのですか。」と祈りもしました。大学一年生で洗礼を受け、まもなく献身を表明して以来、教会学校中学科の奉仕と大学でのパスカルの勉強に情熱を傾けて、将来の神学校の学びと伝道者としての備えをしてきたつもりでした。けれども、ここに来て自分が牧師としてまったく不適格な人間であるとすれば、いったいどうすればよいのでしょうか。
その数日後、神戸に住む母から電話がありました。電話の向こうの声が震えています。父が食道ガンで、四月初旬に手術しても余命あと半年と宣告されたのでした。
こんな二つの課題を抱えて私は東京基督神学校に入学し、四月から青梅キリスト教会と小作集会所に奉仕神学生として通うことになりました。「宮村先生とはどんな恐ろしい先生だろうか。」と私は内心恐れていました。初めて青梅の教会を訪れたとき、「神学生として何を奉仕しましょうか。トイレ掃除をはじめ、なんでもします。」と気負って申し上げました。ところが、宮村先生はあの分厚いめがねの奥の目からじっと私を見て、「いや。神学生にとっての最大の奉仕は、そこに礼拝者として存在することです。」とおっしゃったのです。虚を衝かれました。当時の私には先生がおっしゃる意味がよくわからなかったのです。
大学一年の一月に洗礼を受け、二月に神の前に献身を表明し、以来、「献身者は牧師の右腕」ということばを意気に感じて、献身者にふさわしくありたいと願って懸命に奉仕をしてきた三年間でした。そういう日々の中、いつのまにか私は神の恵みによって救われたことを見失って、自分の善きわざに頼む者になっていたのでしょう。そうして、時には教会学校の同僚をふまじめだと非難することもありました。
ところが神は神学生になった私から自分のわざに関する誇りをはぎ取られました。父の術後の病状が思わしくなく、週末に折々帰省して看護する母を休ませる必要が生じたからです。そのため奉仕教会を欠席するたび、心の中で『それでも献身者なのか』ということばが私を責めていました。しかし、青梅の教会、小作の集会で教会学校の子供たちとさんびかを歌い、礼拝をささげると、いつも心はやすらかになりました。そして、私の心に少しずつ宮村先生のことばが染み込んできました。夏から先生は私に小作集会での「説教代読」という奉仕をゆだねてくださいました。その奉仕を依頼なさるとき、先生はおっしゃいました。「説教の代読といっても、私は君を道具として用いようとは思ってはいません。人格はつねに目的であって、手段としてはならないからです。」それで先生は説教原稿と釈義ノートを一週間前には渡して、代読をする私が自分の心をこめて自分のことばとして奉仕できるように配慮してくださいました。
十月十日、父が天に召されました。医師が予告したとおり、四月十日からちょうど半年のいのちでした。苦痛にさいなまれる日々のなか、「神様が遠くに行ってしまった」とつぶやくこともあった父でしたが、最期の夜には母に「君と結婚して幸せだった。キリストを信じて天国に行けるから。帰ろう。帰ろう。」とのことばを遺して去って行きました。
葬儀が終わって一ヶ月たったころ、宮村先生は白に黄緑の帯のデザインの本を手渡してくださいました。『存在の喜び――もみの木の十年――』でした。「存在の喜びの『の』は、目的格的属格の『の』なんです。つまり、存在が喜ぶ喜びではなくて、存在を喜ぶ喜びです。神様が私たちの存在を喜んでくださっている、その喜びです。」新約学者らしい先生の説明でした。神学校の寮に帰って、さっそく読みました。この半年余、礼拝で、ふとした語らいの中で宮村先生から聞かされたことばで、心に残りながら、十分に悟りえなかったことの意味が解き明かされて行きました。聖書が与える目にはこんな喜ばしい世界が映り、凛とした人生が見えることを知りました。そして、次のくだりに至ったとき、胸が熱くなって、しばらく、先に進むことができなくなってしまいました。
「園児にとって、何が無くとも、これだけは是非必要なこと、それは自らの存在が喜ばれている確認です。両親が自分の存在を喜んでいてくれる。園でも、教師や友人たちが自分の存在を喜び受け入れてくれている。自分の存在が少くとも或る人々に心から喜ばれているとの自覚は、必要不可欠なものだ。これこそ、この十年深まりつづけてきた確信です。何が出来るか、何の役に立つかと機能の面からのみ判断されるのでなく、ただそこに存在していること自体が喜ばれ重んぜられる。この経験なくして幼児は、いや人間は真に人間として生きることは出来ないのではないでしょうか。」(第一版四十八、四十九頁)
何ができるかできないかにかかわらず、主はこの私の存在を喜んでいてくださるのだということを、私はこのとき悟りました。私は確かに恵みのゆえに救われたにもかかわらず、いつのまにか行ないによって自己満足し、行ないえないときには罰におびえる奴隷状態に陥っていたのです(ローマ4:14、15参照)。ところが主は「わたしは、おまえがどんな奉仕ができるとか、できないとかいう以前に、おまえがただそこにわが子として存在してくれることが喜びなのだ。」とおっしゃったのです。
私の人生は変えられました。生きることに喜びと自由があふれてきました。私は神学校で「存在の喜びのセールスマン」と呼ばれるようになりました。神学校最終学年になって母教会の朝岡茂先生のもとに帰ったとき、先生はガンの床にあって、「君は伸びた。」とおっしゃってくださいました。朝岡先生は私が真の意味で伸びるためには、朝岡先生のもとではなく、宮村先生にゆだねることが必要だと見抜いていらしたのでしょうか。私は朝岡茂先生のもとで主の兵士としての厳しさを学び、宮村武夫先生のもとで神の子とされた喜びを知ったのです。
あの日からすでに四半世紀がたちました。もし「存在の喜び」との出会いがなかったならば、私はきっと家庭生活においても、牧会者としての生活においても、田舎での開拓伝道においても、とうに破綻し燃え尽きてしまっていただろうと思います。このたび、本書が再刊されるにあたって、このような文章を寄せる機会をいただけたことを、心から喜び、光栄に思います。すべての人に、そうです、すべての人に本書を推薦いたします。(2008年11月1日記す)