苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

改憲論議に先立って、憲法とは何か?

 高市首相が改憲に前のめりである。だが、改憲するならするで、そもそも憲法とは何かを私たちは知らなければならない。憲法の役割が何かを知らずに、憲法を正しく改めることはできないからである。
 高市早苗首相が改憲を訴えて、「憲法は国家の理想を物語るものです」と熱弁している。だが、憲法の第一義的な目的は、権力者が国民の人権を脅かすことがないようにする制約であり、権力者が独裁化して暴走しないための仕組みを定めたものである。なぜ制限が必要かといえば、国家権力は必ず自己目的化して暴走する性癖があるからである。現代憲法には国家の理念や価値観、たとえば平和主義といったことも含まれるようになったが、それは第二義的なことである。

 高校歴史教科書にも書かれているが、中世英国のジョン王が対外戦争のたびに領主や都市、教会から軍資金と兵士を求めたことに対して、彼らが怒り、課税には彼らの同意が必要であるとして、「マグナ・カルタ」をジョン王につきつけて、王の行動を制約したことが憲法の始まりである。

 近世になると王権神授説を根拠とする絶対王政の時代となり、もし王を批判する国民がいたら、ほしいままに投獄・処刑する王たちが現れた。こうした王の暴政を制限するために作られたのが「人身保護法」である。権力の本質は剣、すなわち強制力であるから、権力には制限を加えておかなければ危険きわまりないのである。それが憲法である。憲法は国家の理想を物語るのではなく、国民の人権を国家権力の横暴から守るための定めなのである。

 高市さなえ氏をはじめ、自民党の議員たちはこんな常識も知らないほど無知なのだろうか?それとも、彼らは国民は無知だと侮って、嘘をついているのだろうか?ご本人たちに聞かなければならないが、恐らく後者であろう。だが、私たち国民はそれほど無知ではない。

 聖書を見れば、すでに申命記17章に憲法主義(立憲主義)のスピリットが啓示されている。

18,その王国の王座に就いたら、レビ人の祭司たちの前にある書から自分のために、このみおしえを巻物に書き写し、19,自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。20,それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることのないようにするため、また命令から右にも左にも外れることがなく、彼とその子孫がイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるようにするためである。