国家主義者は、国家を神格化している人々ですから、当然のように国民に国を愛することを要求します。別に国家主義者ではなくて、私たちは近代国民国家(nation- state)に暮らしているので、愛国心というものが時代を超えて地域を超えて普遍的な価値だと思い込んでいる人々が多いと思います。ワールドカップやオリンピックになると、「ニッポン・チャチャチャ!」と熱狂します。しかし、愛国心とは本当にどの時代のどの国の人も当然抱く普遍的な価値なのでしょうか。
歴史を振り返ると、実際には、今日でいう愛国心というものは、近代国民国家が成立して後に意図的に製造されたものです。欧米でここ200年ほど、日本ではわずか150年ほどの特異な歴史現象です。ヨーロッパで近代国民国家が、最初に成立したのはフランス革命(1789年)以後のことです。
それ以前、中世の封建制社会では、民はそれぞれ領主に属していました。そして、領主たちが立てているリーダーが王でしたから、民は領主とつながっていましたが、王とは直結していませんでした。その時代の「国」は目に見える山河や田畑であり、そこにいていつも交流のある人々の共同体を意味していました。近代国家は、サイズとして広すぎて観念的なものなのです。
やがて、十字軍遠征で領主たちが戦死して封土が王に接収され、国王が財力軍事力を増して専制君主となって行って中央集権化して、地方分権の中世社会が崩壊していくにつれて、徐々に民に「国民」の意識が生じてきたと言われます。しかし、その時代になっても、国(state)は広すぎて雲をつかむような感じですし、土地と民とは国王の財産であり、結婚のとき、王妃は持参財産として領土と領民を携えてきたので、国境は王の結婚で移動し、また王たちが戦争をするたびに移動しましたから、その地域の住民たちは確たる愛国心など持ちようがありませんでした。昨日までは自分はフランス人だったけれど、今日からはイギリス人であるということがままあったのです。また当時、戦争は、国王直属軍と王と契約した軍人貴族や傭兵の仕事であったので、庶民はあえて志願しないかぎり戦争に出かける必要はなかったのです。
ところが、フランス革命が起こり、国王と領主階級(貴族)や聖職者たちをギロチンにかけ、多くの貴族たちが亡命してしまうと、社会の構造は、中央政府と庶民とが直結するかたちとなりました。ここに「祖国(ラ・パトリエ)」「国民(ナシオン)」が生まれ、国民政府が国家の所有者となりました。そして、民は初めて「フランス国民」として、押し寄せる反革命軍を撃退するために、自ら銃を取ります。国民教育の始まりは、「愛国心(パトリンティスム)」に燃える国民と「国民軍」の養成です。
近代になると戦争は悲惨な総力戦になっていきます。従来の戦争は、貴族階級の士官と傭兵と志願兵というプロの軍人の仕事でしたから、戦ってもほどほどのところで切り上げましたし、兵士の動員にも限りがありました。しかし、国民国家が成立して国民皆兵の原則に立つ徴兵制が敷かれると、愛国心に燃える命がけの兵士たちをいくらでも調達できるようになったのです。近代国民国家において、国家は神格化され、愛国心は称揚され、戦死は殉教的なものとみなされるようになります。
わが国の近代も似たようなものです。幕藩体制の江戸時代には、この列島は三百藩に分かれていて、その一つ一つが「くに」でした。当然、「日本国」は意識されず、したがって「日本国民」もいませんでしたから、愛国心も成立していません。しかも、領民は殿様の所有であり、戦争を担当したのは武士階級だけですから、戦争という仕事は庶民とは無縁でした。
明治政府は、大日本帝国を欧米列強の脅威に対抗し、列強に成り上がるために、天皇を中心とした中央主権化を図ります。そのために、版籍奉還・廃藩置県がなされ、列島住民には、「国民学校」で国家神道の経典「教育勅語」を基軸とした国民教育をほどこし、国民皆兵を原則とする徴兵制が実施されます。こうして列島住民には、「一旦緩急アレバ義勇公ニ奉ジ」つまり天皇のために喜んで命を投げ出す「愛国心」が刷り込まれて行きます。
このように郷土愛は故郷と故郷の人々に対して自然に発生したものですが、近代国家における「愛国心」は、近代国家の為政者が教育によって「国民」に刷り込んだものです。普遍的・絶対的な価値ではありません。
昨日見たように、聖書によれば、民の礼拝と家庭と仕事が正常に行われることが肝心なことであり、その外的条件を整え守るのが国家の仕事です。聖書は、神を愛することと隣人を愛することを求めます。そして、パウロは同胞が神に救われることを切望する同胞愛を披歴しています(ローマ9:1ー3)。けれども、聖書は国家体制を愛の対象とすることを教えてはいません。