苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

男女雇用機会均等法と少子化、そして牧師不足のこと

経団連男女雇用機会均等法

 経団連は政府に強く働きかけて、1985年、男女雇用機会均等法が制定された。表向きは「男女平等の推進」という社会正義であるが、本音は将来の労働力不足に備えて能力ある女性を家庭から企業戦士として労働市場に引っ張り出すことであった。1983年2月に経団連が出した提言『今後の婦人労働対策について』にはその本音がはっきり現れている。看板には「男女平等の推進」を掲げつつ、実質は「経済合理性・企業の柔軟性」を守ることを主眼としている。

 文書冒頭にまず、「我が国の労働力人口の構成変化により、婦人労働力の活用は今後ますます重要な課題となる。」という。経団連の主な関心は、「男女平等の推進」ではなく、人手不足をいかに補うかである。経団連は「女性は結婚・出産で離職する」現状を問題視し、「企業が教育・訓練した人材を継続的に活用できないのは損失だ」と述べる。

 続いて、経団連はこう述べる。「婦人の職業生活における地位の向上を図ることは望ましいが、男女の特性の違いを十分考慮した上での施策が必要である。」奥歯にものが詰まったような言い方をしているが、要するに何が言いたいかといえば、労働力として女性を労働市場に引っ張り出したいけれど、職場の男性優位は維持しておきたいということである。だから、男女雇用機会均等法に罰則規定はなく、勧告するだけである。

 結果、何が起こったか? 短期的には企業に利益を得させたが、長期的には少子化を加速させ労働力不足を招いたのである。高度成長期は、夫が外で稼ぎ、妻が家庭を守るのが普通だった。この体制では、夫の所得だけで家族を支えることができ、子どもを2人・3人持つのが一般的だった。筆者の生まれ育った家庭もそうだった。いわば詩篇128篇のような感じである。

詩篇128篇1‐4節

1幸いなことよ主を恐れ主の道を歩むすべての人は。
2あなたがその手で労した実りを食べることそれはあなたの幸いあなたへの恵み。
3あなたの妻は家の奥でたわわに実るぶどうの木のようだ。あなたの子どもたちは食卓を囲むときまるでオリーブの若木のようだ。

 ところが、1980年代以降に女性が大量に労働市場に参入した結果、企業は「共稼ぎで食っていける程度に賃金を与えておけばよい。安月給でも大丈夫。」とケチるようになっり、夫婦共働きしなければ生活が維持できなくなった。多くの女性は結婚して出産や育児を続けようとすると、自分のキャリアが断たれるのを恐れて、本当は子どもは2~3人欲しいけれど、1人ということになった。この変化は統計にもはっきりと表れている。そして、現在、少子化=労働力不足となっている。

 つまり、経団連が1980年代に推進した女性雇用政策は、目先の労働力確保と人件費節約に成功したのだが、長期的には家庭を崩壊させ少子化を招いたのである。

 

●教団の牧師不足とその対策

 他のキリスト教団体と比べて、新しい献身者が多いとされる私の属する教団でも、ここ10年ほど牧師不足が始まった。牧師とその夫人で一つの教会の牧会をするという従来の牧会スタイルを維持することが難しくなってきた。人手不足の原因は、戦後、たくさん神様に伝道者として人生をささげた世代が高齢化し教会担任の立場から退いたことである。
 そこで、もし牧師夫人が正教師や補教師であるならば、夫婦で二つの群を牧会すればよいではないか、というアイデアが出て来た。「夫婦で兼牧」ということである。筆者は、女性が群れの主任の牧会者となることは、本人に召しと賜物があり、教会の理解と協力があればその働き自体は可能であると思っている。牧師の働きの中心はみことばの説教であるとはいえ、その他の働きが多岐に渡る個別的配慮が必要だという点からいえば、多岐に渡る家事をこなす能力に長けた女性の方が向いているとさえいえる。だが、夫婦で兼牧ということを、もし子育て世代の牧師夫妻に委ねると、家庭を営むことが難しくなり、長期的には牧師家庭の少子化という結果を招き、さらに牧師不足を加速させることはほぼ確実である。現在わが教団の教職のほぼ4分の1は牧師家庭出身者なのだと聞く。若い世代ではもっと比率が高いという印象を持っている。経団連の近視眼を他山の石として、同じ轍を踏まないようにしたい。