来年秋に、HBI で仏教についての講義を聞くことになっているので、いくつか疑問に思っていることをメモしておきたい。
●ゴータマは、死後の問題うんぬんについては答えず、ただ今ここで苦しみからの解放の道を教えた。人生は四苦八苦、皆苦しみであり、苦しみの原因は執着であり、執着の原因は無知であるとした。それゆえ、無知を明知に転じれば、執着がなくなり、執着がなくなれば苦しみがなくなるとした。
●では、「明知」はどのように得られるのか?それを得るために八正道に励めというのか?
●ゴータマは今ここで苦しみからの解放の道を教えたが、大乗仏教が説いている「西方浄土」の教えが全然違うように感じるのだが、両者の共通点は何なのか?苦しみからの解放なのか?自力救済のゴータマの教えと、大乗仏教の恩寵救済は、まったく異質と感じる。大乗非仏説は正統な主張だと思える。
●大乗仏教は、ヘレニズム世界が成立していた時代、1世紀に北西インドあたりに誕生したことから見ると、これは恩寵救済主義のキリスト教を換骨奪胎したものではないかと思われる。実際、そのように主張する論文もある。平山朝治「大乗仏教の誕生とキリスト教」。この件について、どのようにお考えか?
●死後の問題について。子どものころ、お盆になると、「地獄の釜の蓋が開いて先祖の霊が家に帰って来る、盆が終わるとまた地獄に帰っていく」と教えられた。どうやら、中国で作られた偽経『仏説盂蘭盆経』がその出典のようである。そのくせ、阿弥陀仏の名を唱えれば、いな唱えようと心に思えば、それで救われるという親鸞の教えはどのように調和するのか?私にはまったく調和しないと思えるが。また、「草葉の陰」に死者の霊がいるというのはどういうことか?これは仏教とは関係ない、日本人の迷信なのか。
●先祖供養という教えは、ゴータマの説いた本来の仏教と関係あるのか?ないのか?なんいとすれば、先祖供養の教えはどこから来たのか?死者の霊はアラミタマとなり、それを宥めてニギミタマになるという神道の教えがもとなのか?それを仏教が取り込んで、先祖供養に何十年もかけるようにしたのはなぜか?習俗への妥協か?
●真言宗は多神教であり、浄土宗・浄土真宗は一神教であると、真言宗の坊さんから教えられたが、そうなのか?崇拝対象が異なっていても、宗教に入れられるわけはなにか?結局、崇拝対象は二の次で、たましいの安心、気休めを得ることに主眼があるから対象はなんでもよいということなのか?
・・・など聞きたいことはたくさんある。