苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

福音散歩の理由ー費用対効果でなくー

 苫小牧全戸(世帯数9万1千579戸)に福音をとどける散歩を始めて5年目になります。4月から10月、原則として毎朝1時間ほど歩いています。一回目の全戸配布は一昨年に完了しました。1年目は私一人でしたが、2年目になると「私も配りたい」という兄弟姉妹が現れてスピードアップして、3年目に完了しました。そして、今二回目の2年目です。自分の確認のためにも、この働きの理由をメモしておきます。

1.伝道とは第一にすべての人にキリストの福音を伝えることである。

 福音書には大宣教命令と呼ばれる箇所があって、マルコ伝とルカ伝の最終章、使徒の働き1章に、内容的にいえば、「すべての人に福音を伝えよ」と命じられています。

 「苫小牧福音教会」と名乗っているので、苫小牧に住む人々皆にキリストの福音を伝える任務があると考えています。とはいえ、すべての人々に会って話すことは実際にはむずかしいことです。現代では多くの人は共働きで、日中家にいる多くはありません。ただ幸いなことに、日本人は識字率が非常に高いので、文書で福音を伝えるならば、本人がその気になれば、読むことはできます。というわけで福音を記した文書を配ることにしました。

 以前は、福音文書を毎月作って、新聞折込にしていたのですが、苫小牧では新聞の購読者数が激減していて、感触としては10軒に1軒ほどしか新聞を取っていません。だから新聞折込という方法ではほとんどの家に福音を届けることができません。そこで、歩いて一軒一軒に届けることにしたのです。

2.伝道とは第二に悔い改めてキリストを信じた人を主の弟子とすることである。

 マタイ福音書の最終章で主イエスは「あらゆる民族を弟子としなさい」と命じておられます。イエス様を信じた人を、イエス様の弟子つまり、全身全霊をもって神を愛し、隣人を自分自身のように愛する人として育成しなさい、ということです。これは神の家族である教会の形成と言い換えられます。

3.すべての人に福音を伝えても、その人たちがただちに信じるわけではないが、主の命令に忠実に応える教会に、主は求道者を送ってくださる。

 「福音文書を大量に配って、いったいそれで何人の人が教会に来ますか?もっと効率的な方法があるのではありませんか?」という質問をする人がいます。読者の多くもきっとそういう疑問を持つのではないでしょうか。「費用対効果」を考えれば、そうなるでしょう。私としては、上の2点について「それはそれ、これはこれ」という考え方をしています。とにもかくにも託された地域の福音を知らない人々に福音を伝える任務がある、だから伝える。また、「主の弟子を育てなさい」という任務がある、だから礼拝説教・祈り会・入門者会・読書会・個人的な牧会対話その他の活動で主の弟子を育てるということです。

 「1」と「2」を緊密に結びつけて「費用対効果」を考えると、きっと「1」はしたくなくなるでしょう。私の場合は、「1」を忠実にしている教会には、神様が主の弟子となるべき人たちを送ってくださると信じてきましたし、また、実際そうだと感じています。