1.19世紀進歩史観の中で進化論は登場した
19世紀は進歩史観の時代であった。ルネサンス、世界の植民地獲得、啓蒙主義、産業革命と華々しい成果を上げて来たことによって、楽観的見方が流行し、進歩史観が広がった。フランスのオーギュスト・コント(1798―1857)の社会発展論は、「人間が精神の変化にしたがって、神学(創造的)→形而上学(理性的・論理的)→科学(観察、実証的)」という過程をたどるように、社会は「軍事的→法律的→産業的」という過程をたどり進歩すると考えた。ヘーゲルは世界史は弁証法のルールで転回するものであり、それは絶対精神が自由を実現していく自己展開のプロセスなのだとした。マルクスの弁証法的唯物史観もそうである。ダーウィンの生物進化論はこの時代の中に生まれた。
ダーウィンが『種の起源』で唱えたのは、生物が一つの種から長期間にわたる偶然の自然選択を経て多様な種へと進化して来たという生物学上の仮説であったが、続いてスペンサーの社会進化論、タイラーの宗教進化論、宇宙進化論などが登場する。旧約正典の発達説もその産物である。18世紀、啓蒙思想家たちはカント主義・理神論によって創造主を英知界に幽閉した。つまり、現象界を創造したあと英知界にいる神は、「道徳的要請」以外、現象界と切り離された。19世紀になると、思想家たちは進化論をテコにして現象界の創造主である神をいなかったことにしてしまう。ダーウィン個人は価値的進歩を主張していないが、進化論が19世紀進歩史観の枠組みの中で拡大解釈された。進化論は、神に反逆した人類が、神を抜きにして秩序ある世界の出現を説明するための理論として歓迎されたのである。
2.進化論は実験科学でなく自然史推測学である
17世紀にガリレイ、ケプラー、パスカルたちが確立した自然科学は、実験によって仮説を実証する実験科学であった。実験科学は、ある事象について仮説を立て、仮説に基づいて実験をすることを繰り返しつつ、事象の本質に徐々に迫っていくという確実性の高い方法である。自然科学における真理は本質的に仮説である。実験による検証を必須とする実験科学の対象は、現在起きている事象であって、過去の事象、未来の事象は、対象外である。
だが19世紀に登場した生物進化論、宇宙進化論は実験科学ではない。生物進化論・宇宙進化論は、過去に一度限り起こった事象、未来に起きるであろう事象を対象とするからである。過去と未来の事象は、実験によって検証することはできず、推測するのみである。
進化論は、今手元にある史料・資料からから過去に起こった事象がどういうものであったかを推測し、未来に何が起るかを推測する。つまり、生物進化論・宇宙進化論は実験科学ではなく、むしろ歴史学や犯罪捜査学に類する。歴史学は、皇国史観に立つのか、それともマルクスの唯物史観に立つのか、それとも全く別の史観に立つのかによって、史料の選択と解釈が全く異なる。犯罪捜査では、「検察のシナリオ」によって冤罪も生み出される。現状、進化論が「科学」に分類されているせいで、多くの人はこれを実験科学と混同し確実なものだと錯覚している。
誤解を避けるためには、むしろ本来の自然科学を実験科学と呼び、過去と未来を推測する営みは自然史推測学とでも呼び分けるべきである。両者は方法論が本質的に異なり、進化論が仮説に依存している度合いはとても高い。
3.3つのパラダイム
自然史推測学の場合、その解釈者のパラダイムが、学説を決定的に左右する。パラダイムとは、ものの解釈の根本的な枠組みのことである。自然界の過去と未来を解釈するパラダイムは整理すると、結局3つの立場があることになろう。
①有神論・特別創造論者・・・神は特別の働きと通常の働きによって自然を支配すると解釈する。神の特別の働きとはことばによって無から世界を創造したこと、また造られた世界に啓示や奇跡を行われることを意味する。通常の働きとは、神が造った自然法則によって、自然を統治することを意味する。
②無神論的進化論者・・・創造主は存在しない。自然法則は自然の性質としてもともと備わったものであり、自然法則によって今日の姿にまで宇宙と生物は変化して来たし、未来も自然法則の赴くままになって行くと信じている。
③有神論的進化論者・・・神は観念界に属し、現象界と切り離されていて、道徳的要請として神がいることにされている。科学はHOWを探求し、宗教はWHYを探求すると考える。神が非常に遠い過去に、無から今も通常用いておられる自然法則を創造した。そして、それらの法則が過去長期間をかけて進化のプロセスをもちいて現象界が形成されてきたと信じている。だが、有神論的進化論者は、同時に、啓示やキリストの受肉や復活や再臨という自然法則を超えることも「ある程度」は信じていて、その程度には個人差がある。
4.パラダイムの違いによって聖書解釈が異なる
解釈者の立っているパラダイムによって、聖書の解釈は違ってくる。例えば、イエスが「エパタ」ということばで聾唖者(仮に先天的に聾唖で20歳とする)に聴覚と発話力を与えた奇跡の解釈を取り上げよう。3人の人が、彼と初めて出会い、彼と彼の家族からイエスに出会って起こったことの証言を聞いたとする。
①有神論的特別創造論者が彼に出会うと、本人の証言と家族の証言から、「イエスは無から万物をことばによって創造した力をもって、聾唖者に聴覚神経・発話力および、幼少期から20歳に受けるべきであった言語習得のための経験を与えた」と信じ理解する。
②無神論的進化論者は、現象界で奇跡は起こりえないから、彼と彼の家族のイエスが行った癒しに関する証言は作り話に違いないと解釈する。
③有神論的進化論者で自由主義神学にすっかり染まり切っている人は、現象界では奇跡は起こりえないから、彼と彼の家族のイエスの御業に関する証言は作り話だが、そこには何か宗教的意味があると解釈する。
有神論的進化論者であるが福音書のイエスの言動に関してはそのまま信じる人は、①と同じ理解をする。
5.パラダイムの違いによって自然史解釈が異なる
歴史家は、自分の歴史観を説明する上で有効な史料を優先し、自説に不利な史料をについては過小評価する傾向がある。自然史推測学でも同じである。
①有神論的特別創造論者は、三位一体の神が存在していること、そして聖書をもって創造について啓示しておられることを前提としているので、神が意志されたときに、世界は「6日間」と呼ばれる比較的短期間に完成したものとして創造されたと考える。その観点から、化石証拠、生物の形態、遺伝子の構造、その他を解釈する。有神論的進化論者にとって、キリスト教とは事実である。
②無神論的進化論者は、神は存在しないことを前提としているので、この複雑で秩序ある世界が短期間に出現したはずはないと考える。したがって宇宙の性質として存在する自然法則が、極めて長期間をかけて、宇宙の仕組みと地球と地球上の複雑なシステムはできあがったのだと信じている。そのパラダイムに沿って、化石証拠、生物の形態、遺伝子の構造などを解釈をする。
③有神論的進化論者は、三位一体の神が存在していることは信じているが、聖書は神が創造者であることのみを教えているのであって、創造がいかなるものであったか(HOW)については教えていないと信じる。彼らは、世界と地球と生物の出現のHOWについては無神論的進化論者と同じことを信じている。有神論的進化論者において、現象界(HOWの世界・科学担当)と、英知界(WHYの世界・宗教担当)は分離している。有神論的進化論者にとって、キリスト教とは「宗教」である。
6.世界創造解釈の適切な方法とは何か?
神は世界を扱うにあたって、通常の方法(自然法則)と特殊な方法とを取られると聖書は教えている。特殊な方法とは自然法則を停止したり強化するいわゆる奇跡である。
では、世界創造において、神は通常の方法、特殊な方法どちらを採用したと聖書は教えているだろうか?
有神論的進化論者は通常の方法(自然法則)によってなされたと考えて、過去に行われた世界創造がこのようであったろうと解釈する。
だが、へブル書11章3節は、神の世界創造は特殊な方法によったから、それは信仰によって悟るべきことだと教えている。
「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」
有神論的進化論者がしていることは、たとえば主イエスが湖面を歩行した奇跡を「そのあたりは浅瀬だったのだ」などと、自然法則にかなうつまらない説明しているようなものである。ただ福音書のイエスの奇跡については世の中の著名な科学者たちが云々することはないが、世界の出現の仕組みについては著名な科学者たちが膨大な研究をし、進化が事実であることは現代人の常識だとされているという違いがある。