苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

被造世界は時間性を帯びている

 主のいやしの奇跡について、最近気が付いたこと。主イエスは聾唖者に「エパタ」と権威あることばをかけることによって欠損していた聴覚神経を瞬時に創造することによって癒しを与えたことがありました。しかし、もっと驚くべきことがあります。聾唖者の癒しの場合には、もし彼が健常者だったなら幼児期から数十年をかけて獲得したはずの語彙や文法などの言語能力をも瞬時にお与えになったことです。そうでなければ、彼はただちに会話することはできなかったでしょう。彼はあたかも数十年間かけて語彙や文法や発声など身に着けてきたかのように、いきなり言葉を話し始めたわけです。ということは、主の創造的癒しは時間性を帯びているということです。

 同じように、神がアダム夫婦を造られたとき、彼らは受精卵でも乳児でもなく、二十年程度の時間性をおびた成人の姿をしたものとして造られました。そこにあった木々も、ほかの動物たちも、山も川も海も、そして夜になれば空にまたたく星の光も、時間性を帯びたものとして創造されました。被造世界は時間性を帯びているものであって、そうでなければ全体として機能しないのです。

 この世界の出現の仕方についてどうすれば正しく認識できるかについて、聖書は次のように言います。「信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、その結果、見えるものが、目に見えるものからできたのではないことを悟ります。」(へブル11章3節)