苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

松原湖研修会

 教団の松原湖研修会が終わりました。今回は二日目の早朝、午後に松原湖周辺を歩き、三日目の朝は松原湖周辺から長湖に足をのばしてアウトキャンプ場を回ってみました。今回は、三日とも雲一つない青空に恵まれました。

 研修は、「聖書信仰と現代」という主題で、1日目開会礼拝のお話担当は私で、創世記6章からお話ししました。夕方と三日目朝は岡村直樹先生「ストレス社会と人間理解1まず自己理解」「同2隣人理解」。2日目は、教会と国家委員会からは「天皇代替わりにちなんでの話」、「障碍、人への理解」、「性的少数者について」ということでした。

 今回は、とくに、岡村直樹先生の講演からは「感情」というものについて考えさせられました。キリスト者は「怒り」という感情をネガティヴにのみとらえて、我慢してブラックボックスにつめこむことが多い。けれども感情も神からの賜物ですから、正しく尊重すべきです。もちろん感情を爆発させたり、感情主導の生き方をせよというのではありません。そうでなく、自分のうちに湧いた感情を受け止め、「なぜ自分は今怒りを感じているのか?」「なぜ今自分は悲しみを感じているのか?」と考えて、その感情をきっかけに自己理解を深めることが自分自身の魂への牧会的配慮として必要であると教えられました。

 ご講演を伺いながら、そういえば、西洋の伝統的キリスト教神学においては、この感情ということがほとんど扱われて来なかったということを思わされました。おそらくプラトン主義やストア主義的な影響ではないかと思います。しかし、聖書そのものを読むならば、神は怒るお方であり、また、愛するお方です。…課題は大きいなあと感じます。キリスト教神学では、学という性格上、知の面に偏っていたのはやむをえなかったとは思いますが。
 そうした中で、知情意が見事に統合された『ハイデルベルク信仰問答』は、たしかに貴重な作品でしょう。