苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

よい編集者に恵まれる

 キリスト教誌『舟の右側』神学講座の4回目は、聖書の霊感、啓示の漸進性、聖書の権威、聖書に誤りがないということの意味、と聖書解釈についてなんです。一回目の原稿を出したら、編集者がきちんと読んでくださって、これじゃわからんなあという内容のコメントをくださいました。
 そこでうんうん唸りながら、昔読んだ本などひっくり返して勉強し直して、書き直したら「明解な加筆修正、とても興味深い内容」とOKをいただきました。
 その様子をみて、妻が、「きちんと問題を指摘できる素晴らしい編集者さんねー。それに、指摘を受けて書き直す修治さんもすばらしい」と。・・・木に登ろうかな。


 編集者と執筆者の関係というのは、なかなか微妙です。昔、「人口の百分の一の福音」という雑誌にある文章を頼まれて書いたら、編集者からあまりにも注文が多すぎて、「それなら自分で書けばいいでしょう」という気分になったことがあります。それに想定する読者の知的水準を低く見すぎているんじゃないかなあという印象を受けました。
 また、Hという雑誌に連載したときは、なんの注文もしてこないので、伸び伸び好きに書けて楽でしたが、誤植もそのまんまということがままありました。でも、枠にはめようとはしないので、どの文章も個性があって生き生きしている印象がありました。
 今『舟の右側』の編集者は神学を専門に修めた方ではなく、一般読者の視点をお持ちですが、本質をきちっと見抜く力をお持ちです。この雑誌の特徴は、聖書を尊ぶという枠はあるのですが、キリスト教界の中で立場の異なる者がお互いに学ぶことを志しているという感じです。