苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

目からウロコ?それとも・・・ウォルトン『創世記1章の再発見』と進化論   

 ウォルトンは、創世記1章の7日間の創造記事の「日」は24時間であると読む。また「無からの創造」の教理も支持するという。けれども、彼は進化論を支持している(p198)。そんな芸当がなぜ可能なのか。
 それは、「創造の七日間」は、すでにあったもろもろの被造物に役割を与えて、全体が神殿としての宇宙として機能するようにするプロセスであると彼が想定するからである。つまり、神は46億年前に無から素材を造り、その素材が46億年かけて進化して役割を果たせる状態になるのを待っていて、「創造の七日間」で役割を与えて、宇宙を神殿として落成させたというのである。197、198ページを参照されたい。整理すると次のようになる。

 

 1.神は無からの最初の素材の創造し、それは46億年かけて進化した。

 2.進化によって準備の整った素材それぞれに役割を与え、神殿としての宇宙を完成した。「2」が創世記1章の記事である。

 

 ウォルトンが、このような説を唱えるのには、2つの理由がある。

 一つは、オリエント古代の創世神話を見ると、無からの創造を教えておらず、素材はあらかじめあったところに、神々が登場して素材に役割を与えて世界を造っている。創世記1章も古代オリエントという時代の産物だから、同じなのではないかと彼は考えた。(ここが問題!)そして、従来、「(無から)創造する」という意味だとされたヘブル語のバーラーという動詞を、「役割を与える」という意味だと読み替えた。(ただし、その道の専門家津村俊夫氏はこのバーラーのワードスタディの方法が間違っていると指摘している。)

 もう一つは、創世記の創造記事と進化論との相克を解消し、創世記もOK、進化論もOKであると言いたいということである。そこで、進化のプロセスは、創世記の7日間以前のことだと言ってしまって、両者は切り離したのである。読者はこれを「目からウロコ!」と見るか、それとも、「そんな無茶な!」と見るか、である。

 昔、スコフィールド・リファレンス・バイブルというのが、創世記の1章1節と2節の間に断絶があることを想定し、その断絶の間に悪魔の堕落や進化のプロセスという長い期間があったのだという、文字通り行間を読む無茶な「断絶説」を唱え流行したが、あれに似ている。違いは、1章1節と2節の間でなく、1章1節の前に進化のプロセスを位置づけた点である。・・・私は、そんな無茶な!と思う。行間の読み込みすぎである。