苫小牧には、戦後、樺太からソ連軍の銃弾にさらされながら、逃げてきた人たちが多いのです。樺太の王子製紙の工場に勤めていた関係で、苫小牧の王子製紙に身を寄せたという人が多いからです。
8月15日から7日間、樺太では、大本営からの無条件降伏の通知があったにもかかわらず、札幌第五方面軍から、北海道へのソ連軍侵攻を防ぐために、一般住民全員を義勇兵として徴用してゲリラ戦を展開せよという命令が出されていた結果です。8月15日、恵須取に上陸してきた無警戒のソ連軍を、日本軍が攻撃し7名射殺したことから戦闘が始まり、一般住民は竹槍を手に持たされて、ソ連軍の地上軍の機関銃と空からの銃撃と海からの艦砲射撃にさらされて、5000人余の犠牲を出したそうです。
住民を犠牲にして敵軍の本土上陸までの時間稼ぎをするという作戦は、沖縄戦で実行されて、軍はその効果を高く評価していたというのです。呆れました。