ヨハネ19:30
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった。
イエス様は十字架上で「完了した」とおっしゃいました。ということは、あの十字架上で私たちの罪のための苦しみの杯は死の一線で飲み尽くされるという意味でしょう。だとすれば、死後「黄泉に下られた」と使徒信条で表現されることは、もはや呪いではないということになります。だから、「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」とおっしゃることができたのでしょう。また、だからこそ、先立って隣の十字架につけられた罪人が悔い改めたとき、「あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます」とおっしゃったのでしょう。
「今日わたしとともにパラダイスにいます」とおっしゃったということは何を意味するのでしょうか。イエス様が復活なさるのは、その日から三日目です。復活以前、使徒信条が「よみにくだり」と表現している間、主イエスはすでにパラダイスにいらしたということでしょうか。それとも、パラダイスにいるという意味は、主とともにいるということが本質だとすれば、すでにそこつまりあのゴルゴタにパラダイスはあったことを意味するのでしょうか。
主イエスのことばには、読み流したときにはわかったつもりでいても、よく考えるとわからないことがありますね。