スコセッシの映画「沈黙」が封切りされたそうですね。遠藤周作『沈黙』に対して、聖書に啓示されたキリストをはっきりと示し、ほんものの聖書に立つキリストとキリスト教信仰とは、こういうものなのだ、と若い日に覚悟させてくれたのが、小畑進先生の『沈黙』論でした。小畑先生は、遠藤に対して聖書から応答して、結論のところで以下のように言っています。
題名の「沈黙」とは、沈黙せる神の「沈黙」ではなくて、自分が語るために神に強いた沈黙の「沈黙」ではありませんでしたか。むしろ題名を「饒舌」にしたら、とも思うのですが。
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http://www.tci.ac.jp/wp-content/uploads/2017/01/silence_obata_.pdf