また、愛のうちに歩みなさい。キリストが、あなたがたを愛して、私たちのために、神へのささげもの・犠牲としてご自身を差し出し、香ばしいかおりとなられたように。(エペソ5:2試訳)
イエス様のご生涯、その十字架の出来事は、ガラテヤ書にあるように、木にかけられた者は呪われたものであるという、恐ろしい出来事であったが、それは同時に神への香ばしいささげものでもあったということ。律法との関係からいえば、我々の違反への呪いを背負い込んだことだが、それが御父への愛による服従だったという観点からいえば、それは香ばしいかおりであった。
キリスト者としての歩みが、キリストがそうであったように、神への香ばしいささげものであるような生き方であるようにと使徒は求める。贖罪的な生き方ということばを思い出す。他の人が捨てたゴミを、「これはあいつの捨てたゴミだ」というのでなく、御父を愛するゆえに自分のゴミとして拾う生き方。・・・なかなか実践できていない自分を省みる。そうだ。朝、ゴミ袋をもって会堂に通うことにしよう。