苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

どうしてアーメンと言えるでしょう

14:14 もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。 14:15 ではどうすればよいのでしょう。私は霊において祈り、また知性においても祈りましょう。霊において賛美し、また知性においても賛美しましょう。 14:16 そうでないと、あなたが霊において祝福しても、異言を知らない人々の座席に着いている人は、あなたの言っていることがわからないのですから、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。 14:17 あなたの感謝は結構ですが、他の人の徳を高めることはできません。(中略)
14:26 兄弟たち。では、どうすればよいのでしょう。あなたがたが集まるときには、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。そのすべてのことを、徳を高めるためにしなさい。
(1コリント14章14-17節)

 この異言にかんする教えは、外国語で歌われる賛美についても同じことが言える。本人がひとり口ずさむ賛美であれば、英語であれドイツ語であれラテン語であれ自由である。しかし、主にある兄弟姉妹がともにいる場で、兄弟姉妹が理解できない外国語の賛美歌を歌ったところで、どうして「アーメン」と言えるだろう。水戸黄門の主題歌「人生楽ありゃ苦もあるさ」のメロディに、「どんぐりコロコロ」の歌詞が乗せられるように、メロディにはどんな歌詞でも乗るのだから。だから、公の場で外国語で賛美歌が歌われるときには、その歌詞の解説をする配慮が必要。それでこそ、アーメンと言える。