苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

賜物と愛

「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(第一コリント書13章13節)
 この聖句は、19歳の私がはじめて増永牧師と面談したあと、同級生のH.Hさんが贈ってくれた書物の扉に記されていたものだった。書物はイゾベル・クーン『神を求めたわたしの記録』。「こういうわけで」とはどういうわけだろう?どういう意味で、信仰と希望と愛はいつまでも残るのか?なぜ三者のうちで愛が一番すぐれているのか?・・・不思議なことばだったが、深く印象に残った。今も、これらの問いに対する答えがすっきりみんなわかるわけではない。
 文脈は、御霊の賜物について12章から14章まで論じているなかである。賜物とは神が教会を建て上げるために信徒にくださるもろもろの才能である。そうした才能は、教会の必要に応じて与えられているものであって、いつまでも続くわけではない。だが、それらの賜物(才能)に勝って、いつまでも残るものが信仰と希望と愛、格別、愛である。
 あて先のコリントの教会は、いろいろな賜物をもつ人々が多かったようであるが、どうやら「私の賜物こそ」「おれの賜物こそ」といがみ合っていたようである。御霊の賜物(才能)に優先するのは、愛(御霊の実)である。愛はなく才能だけあるというのがどれほど有害であるかは、たとえば、「愛がまったくない天才科学者」を思い浮かべればすぐにわかるだろう。「血も涙もない天才医師」に診てもらいたいと思う患者は何人いるだろうか。教会も同じ。愛だけが、雄弁・神学知識・強い信仰・慈善・殉教をもいとわない勇敢さすべてにまさり、これらを有益に働かせる。