創世記5章
2016年6月12日 苫小牧夕礼拝
5:1 これはアダムの歴史の記録である。
神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、
5:2 男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。
5:3 アダムは、百三十年生きて、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。
5:4 アダムはセツを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。
5:5 アダムは全部で九百三十年生きた。こうして彼は死んだ。
5:6 セツは百五年生きて、エノシュを生んだ。
5:7 セツはエノシュを生んで後、八百七年生き、息子、娘たちを生んだ。
5:8 セツの一生は九百十二年であった。こうして彼は死んだ。
5:9 エノシュは九十年生きて、ケナンを生んだ。
5:10 エノシュはケナンを生んで後、八百十五年生き、息子、娘たちを生んだ。
5:11 エノシュの一生は九百五年であった。こうして彼は死んだ。
5:12 ケナンは七十年生きて、マハラルエルを生んだ。
5:13 ケナンはマハラルエルを生んで後、八百四十年生き、息子、娘たちを生んだ。
5:14 ケナンの一生は九百十年であった。こうして彼は死んだ。
5:15 マハラルエルは六十五年生きて、エレデを生んだ。
5:16 マハラルエルはエレデを生んで後、八百三十年生き、息子、娘たちを生んだ。
5:17 マハラルエルの一生は八百九十五年であった。こうして彼は死んだ。
5:18 エレデは百六十二年生きて、エノクを生んだ。
5:19 エレデはエノクを生んで後、八百年生き、息子、娘たちを生んだ。
5:20 エレデの一生は九百六十二年であった。こうして彼は死んだ。
5:21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
5:22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。
5:23 エノクの一生は三百六十五年であった。
5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。
5:25 メトシェラは百八十七年生きて、レメクを生んだ。
5:26 メトシェラはレメクを生んで後、七百八十二年生き、息子、娘たちを生んだ。
5:27 メトシェラの一生は九百六十九年であった。こうして彼は死んだ。
5:28 レメクは百八十二年生きて、ひとりの男の子を生んだ。
5:29 彼はその子をノアと名づけて言った。「【主】がこの地をのろわれたゆえに、私たちは働き、この手で苦労しているが、この私たちに、この子は慰めを与えてくれるであろう。」
5:30 レメクはノアを生んで後、五百九十五年生き、息子、娘たちを生んだ。
5:31 レメクの一生は七百七十七年であった。こうして彼は死んだ。
5:32 ノアが五百歳になったとき、ノアはセム、ハム、ヤペテを生んだ。
序 聖書にはあちらこちらに系図が出てきます。系図を通して神様は何を教えようとしていらっしゃるかは、その特徴に着目することによってわかります。
1.アダムからノアにいたる
創世記5章の系図の特徴の一番目は、アダムからノアにいたるラインだけを記したものであって、すべての人のことが記されているわけではないということです。カイン族のことは何も記されていませんし、また、アダムから生まれたセツ系の子孫の中でも、特にノアにいたるラインのみが記されているのです。だから、たとえばカインとアベルの誕生については何も記されておりません。
また、「何歳になってだれそれが生まれた」という書き方がされていますが、その歳まで誰も生まれなかったというわけではないでしょう。むしろ、他にも何人も生まれたのですが、ノアにつながるラインとはならなかった子どもたちの名はすべて省略されているのです。
つまり、アダムからノアにどのように子孫がつながって行ったのかという、その点に特化した系図なのです。というのは、ノアから出る者たち以外は、大洪水によってすべて滅びてしまうからです。
2.12代に整理されている
この系図の第二の特徴は、アダム、セツ、エノシュ・・・・ノアにいたるまでが12代となっている点です。当時の系図の書き方としては、間に何人か省略され整理されている可能性がある。古代の系図は、12とか、あるいは7代とか、14代で整理してかたちを整える書き方の習慣がありました。マタイ福音書1章に出てくるアブラハムからイエスさまにいたる系図は十四代、十四代、十四代で整理されています。旧約聖書に記されている系図と照らし合わせると、何人かの王の名が省略されていることがわかります。
名前が省略されているものですから、ここに誰それが何年生きて、だれそれを生み、何歳で死んだと書いてあるからといって、その年数を足し算しても、アダムからノアにいたる年数を割り出すことはできません。昔からこれらの年数を足し算して、地球が造られた年代を計算する人たちがいますが、それは無駄なことです。
3 非常な長生き
この系図の特徴の第三番目は、登場する人々の寿命がおおよそ900年であり、現代に比べると非常に長命であるという点です。あまりにも年数が長いので、学者さんたちのうちには、この寿命は個人の寿命ではなくて、それぞれ部族の存続した年数を意味しているのではないか?という説を唱える人がいます。けれども、そうであれば「およそ何百年」というふうになるはずで、何百何十何年ということにはならないはずですから、無理な解釈でしょう。
また、当時の暦の数え方が現在とは異なったのではないか、などと考える人もいます。たとえば、毎月1年と考えて今の1年を12年と数えるというわけです。そうすると、900歳ということは75歳を意味することになり、常識的な数字となります。しかし、この説に従うと、11章のアブラハムからノアにいたる系図との調和が図れなくなってしまいます。
結局のところ、聖書本文を一番自然な読み方は、この寿命の長さの記述をあれこれ理屈をつけないで、そのまま受け取ることです。
この平均900年もの寿命は大洪水の前までのことでした。6章〜9章の大洪水を経て後、急速に寿命が短くなっていったことが、創世記11章の系図に記されています。これは何を意味しているのでしょうか?二つの理由が考えられます。一つは創世記6章で神が「人の齢は120年にしよう」とおっしゃったことです。この120年については、このおことばから洪水までの120年間と読む説と、寿命はおよそ120年にするという意味であるという説です。後者の説と理解すると、大洪水の後、人間の寿命が急速に短くなっていったのは神がなさったことだということになります。
もう一つは大洪水の前後で自然環境に激変が生じたと結果、寿命が休息に短くなったのではないかという説を立てる学者がいます。実際、世界中の地層の中で発見される動植物の化石は、かつてこの地球の自然環境が現在とは相当に違っていたということを明らかに示しています。羽の長さが80センチものトンボの化石を上野の科学博物館で私は見たことがあります。また、長さが数十メートルもある巨大な爬虫類などは変温動物ですから、現在の気象条件では生息することは不可能です。哺乳類もかつては非常に巨大なものたちがいたことがおびただしい化石からわかっています。大洪水の後の自然環境においては到底生息することができないようなものたちがかつては、この地上を闊歩していることを私たちは知っています。これらの巨大な生物たちの寿命は、現在よりもはるかに長かったであろうと推測されます。なぜそのようなことが可能だったのかというと、大洪水の前には大気の状態、地表に降り注ぐ有害な宇宙線の状態など、さまざまな面において現代とはちがっていたからではないかという説が立てられています。あるいは、そうなのかもしれません。
ですから、現代の物差しで大洪水前の生物たちのありさまを測ることはできないのです。こうした事実は、この系図に記されている900年もの寿命の長さを説明するための助けにはなると私は受け止めています。
4 「生きて、・・・死んだ」
この系図の特徴の第4番目は、「誰それは生まれ・・・何年生きて、誰それを生んで・・何年生きて死んだ」と繰り返されている点です。繰り返し繰り返し「死んだ」「死んだ」「死んだ」「死んだ」と読んでいくと、なんとも不気味な感じがします。
かつて人類の契約のかしらであるアダムが罪を犯したとき、彼に対して、神はおっしゃいました。創世記3章19節
「3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。
あなたはそこから取られたのだから。
あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
アダムの罪に対する呪いは、確実にその子孫たちに及んでいったのだとこの系図は語っています。死はアダム以来人類を支配しているのです。
5 エノク
この系図の第五の特徴は、系図のなかでもっとも短命なエノクの生涯に関する記述です。彼のこの世での生活は365年でした。しかも、彼に関しては、ほかの人々と違って「死んだ」とは書かれていないのです。「神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」と書かれています。ある日、エノクが突如としていなくなってしまったのです。そして、彼がいなくなったとき、人々は「ああ、神がエノクを取られたのだ」という啓示が与えられたのでしょう。そうして、みなが納得したのです。エノクはそういう人生を生きた人でした。
「5:21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
5:22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。 5:23 エノクの一生は三百六十五年であった。
5:24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。」
エノクの人生をひとことで言うならば、それは「神とともに歩んだ人生」でした。22節、24節に繰り返されています。だれもがエノクさんという人を思い浮かべると、彼はいつも神とともに歩んでいる人だったなあと思い浮かべる、そういう人だったのです。うれしいことがあったときには、神に感謝をささげ、悲しむべきことがあったときにも、神に祈りをささげ、何事もないときにも神を賛美している。それがエノクでした。寝てもさめても、いつも神様とともに歩んだ人、それがエノクでした。
エノクさんがある日散歩をしていると、神様が彼の傍らをいっしょに歩いていらっしゃいました。エノクがあのこと、このことを神様にお話し、神もまたエノクにあれこれと語りかけられる。そうして神とともに歩むうちに、気がつけば太陽は西の空に低くなっていました。神様はおっしゃいました、「エノク。もう晩くなりましたね。うちに来ますか。」するとエノクは、「では、そうさせていただきましょうか。」と答えて、彼は神の家に帰って行ったのでした。エノクという人は、神とともに歩む人生でした。
「エノクは神とともに歩んだ」ということを読むと、憧れを感じ、私もそうありたいと感じるとともに、ちょっと自分と引き比べると、なんだか先天的に自分とは質が違う人だなあという印象をもってしまうかもしれません。生まれながら、神を愛し、神とともに歩む人生を歩んだエノク。神の人エノク。聖人エノクというイメージです。
しかし、ここに短く記された彼の人生を見ると、彼の人生にも霊的な転機があったのだということがわかります。
「5:21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
5:22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。」
人生の65年目、エノクにはメトシェラという子どもが与えられました。そのときにどういう出来事があったのかは記録されていませんが、彼は生まれてきたわが子を胸に抱いて、一つの決心をしたのでした。「そうだ。これからは神とともに歩む人生を生きよう。」と。それ以前、セツ系の一族に生まれたエノクが神を知らなかったわけではありません。しかし、まあまあ親が神を信じているから自分も一応神を信じときどき祈りもするという程度だったのでしょう。けれど、メトシェラが生まれたときから、彼は変わりました。神とともに歩むことを決心し、以後300年間、神とともに歩む人生を歩みとおしたのでした。
先天的エノクが敬虔な人であったというのではありません。あるとき、彼は自分の人生のハンドルを神にお任せすることにしたのです。自己実現、自分の欲望や夢の達成、そうしたものを追い求める人生をやめて、神に人生をおささげしたのでした。それは幸いな人生の始まりでした。そうして、ある日、神はエノクを取られたので、エノクはいなくなったのです。彼が世を去ったとき、人々は彼の記念碑に、「エノクは神とともに歩んだ」と刻んだのです。
結び
エノクの人生は当時の標準からすれば、標準の半分にも満たないものでした。決して、長いものではありませんでした。しかし、その人生はまことにすばらしい人生でした。彼が神とともに歩んだからです。あなたは、何とともに歩む人生を生きているのでしょうか。会社とともに、仕事とともに、お金とともに・・・、クリスチャンであれば、そうではなく、神とともに歩む人生を歩んで行きましょう。自分勝手にあらぬ方にむかって歩いていって、「神様こっちこっち」と呼ぶようなことではなく、神とともに歩む人生を行くのであります。