苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

悪魔の誘惑

 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、 こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
エスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい』と書いてある。」 (ルカ4:5−8)

 荒野で悪魔がイエスに差し出した誘惑は、「石をパンに」という肉の欲、「神殿から飛び降りてみよ」という目の欲(好奇心)、そして、「権力と栄光を」という虚栄に関する誘惑だった。権力者や財界人と呼ばれる人々は、わたしを拝めば権力と栄光をお前にやろうではないかという誘惑にさらされている。いやむしろ、現に権力と栄光を手にしている人々の多くは、この手の誘惑にあってまことの神ならぬ者を拝んだことによって、権力や富を手中に収めているのだ、と聖書は私たちに舞台裏を見せているのかもしれない。
 もう三十年も前、ある一部上場の電器関係の重役だった方からうかがったのだが、彼はかつてこの種の誘惑にあったことがあるとのことだった。クリスチャンだった彼は、幸いその誘惑を退けることができたという。しかし、あの日、魂を売り渡していたら、トップにまで上り詰めたのかもしれない、と笑っていた。その話を聞いていて薄気味悪い闇の世界のリアリティを感じた。
 この列島では卑弥呼が鬼道をなす者であったように、この世の権力者たちはなにかその種の闇の世界との取引をして権力と栄光とを手に入れて来たようである。今日でもそうなのだろう。最近の政府の熱に浮かされたような暴走振りを見るにつけ、そう思う。

私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。
 (黙示録13:2)

 だからこそ、キリスト者は彼らの真相を見抜くとともに、彼らのためにとりなし祈らねばならない。

そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。(1テモテ2:1,2)