マルコ11:1−25、民数記24,25章
マルコ11章2,3節
言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」
大学にはいり、クリスチャンのS君と出会ってまもなく、『ちいろば』という小さな本を貸してもらった。榎本保郎牧師の自伝的エッセーだった。S君は四国は高松の出身であり、榎本牧師という人は高松で牧会しておられたが、つい昨年(1977年)に天に召されてしまったということだった。S君はその年に洗礼を受けたばかりとのことだった。私はまだ洗礼を受けてはいなかった。
読んでみて何度も笑い、何度も涙した。そして、体当たりでイエス様を求め、文字通りいのちがけでイエス様にしたがい、最後は伝道の旅路で客死した榎本牧師の、偽善のギの字もない人柄にひきつけられてしまった。
力もなく見栄えもよくなくて、何の役にも立たないはずのちいろばが、イエス様のエルサレム入城の際には、その背中を提供するという栄誉に浴した。小さい者であっても、『主がお入用なのです』ということばにおこたえして生きて行きたいと、あの日思った。
あれから37年たち、いささか齢を重ねたけれど、新しい年度、白髪交じりのちいろばとして、イエス様を背中におのせして、一歩一歩前を向いて進んで行きたい。