苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

有象無象のひとり

通読箇所マタイ22章1-22節、出エジプト24,25章

そこで、王は言った。「あなたはどうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。」しかし、彼は黙っていた。(マタイ22:12)

 天の御国。王が催した王子の婚宴の譬えのなかの一節。あらかじめ招待しておいた客たちが口実を設けて来ないばかりか、招待に出かけた王のしもべを辱め、かつ、殺してしまった。そこで王は兵を出してその町を滅ぼし、大通りにでて手当たり次第に有象無象招待させる。王は神、王子はキリスト、予め招待した客はイスラエル、辱められ殺された王のしもべたちとはバプテスマのヨハネにいたる預言者たち、代わり招かれた大通りの有象無象は異邦人であり、私は有象無象のひとりである。
 王子の婚宴に招かれた有象無象は、「俺たち、こんなみすぼらしい服で出かけていいのだろうか」と心配しながら出かけるが、玄関口で別室に案内されて素敵な婚宴用の衣装を王からいただくことになる。今まで身に着けたことなどない立派な衣装を着て婚宴に列席する。・・・こういう話を昔から聞いてはいたが、ピンと来たのはノダメカンタービレで、ノダメが南フランスの貴族の屋敷に演奏旅行に出かけたとき、彼らの着るべき衣装を貸してもらえたという場面を見たときだった。だが、その時、シンイチは「こんな格好できるものか!」と拒もうとした。・・・主イエスのたとえにもシンイチみたいなのがいて、王が用意してくださった礼服を拒んで宴会から追い出されてしまう。
 キリストから賜った恩寵の義の衣を拒んで、自前の義で聖なる神の前に出ようとはあつかましい話だが、アダムが神に叛いてイチヂクの葉で腰覆いを作って以来、人は自己義にこだわり神がくださる恩寵にすがることを拒むようになってしまったのだ。
 しかし、有象無象のひとりにすぎぬ私としては、ただ主の恩寵にすがって、きょうも御前で喜び、一日を送りたい。