苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン 12月23日  恵みのことば

イザヤ65:2
口語訳>
よからぬ道に歩み、
自分の思いに従うそむける民に、
わたしはひねもす手を伸べて招いた。

新改訳>
わたしは、反逆の民、
自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、
一日中、わたしの手を差し伸べた。

新共同訳>
反逆の民、思いのままに良くない道を歩く民に
絶えることなく手を差し伸べてきた。

 よからぬ道に歩む反逆の民に、主は怒り御手をもってこれを打つ、あるいは見放して手を引いてしまう・・・というのが当たり前。ところが、「ひねもす手を伸べて招いた」とあります。恵みとは不思議です。そう、神の恵みとは本来、不可解なものです。そのことを、今年、このクリスマスの季節につくづく感じています。よくぞ、尊くきよい神の御子が、きよらかな父の御許を打ち捨てて、この悪意と偽りと汚れと残虐に満ちた、私たちの世界に来てくださいました、と。
 もし、そこに出かけてゆけば、真実を語るほどに偽善者たちに憎まれ、どんなに愛を注いでも裏切られ、挙句のはてには悪意の者たちに十字架に釘付けにされてしまうことを逐一ご存知の上で、御子はこの世界に来てくださいました。もし自分が御子の立場なら、到底出かけたいとは思えません。もし自分が御父の立場なら、最愛の子けっして、そんな危険で汚れた人々のところに送りたいとは思いません。不可解なほどの神の愛。