苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン8月9日  このバカ、憎めないやつ

歴代誌上28章9節
口語訳
主はすべての心を探り、すべての思いを悟られるからである。


新改訳
【主】はすべての心を探り、すべての思いの向かうところを読み取られるからである。


新共同訳
主はすべての心を探り、すべての考えの奥底まで見抜かれる。

 ダビデがわが子ソロモンを諭し、言い残したことばの一部。 「わが子ソロモンよ。今あなたはあなたの父の神を知りなさい。全き心と喜ばしい心持ちをもって神に仕えなさい。」(新改訳)に続くことば。
 「すべての心」という表現が、日本語として必ずしもよくわからない。先立つ「全き心」は単数なのだが、「すべての心」のほうは複数形である。だとすると、「すべての心」のほうはソロモンの心だけを指すのでなく、あらゆる人々の心という意味なのだろう。
 ダビデという人は、若い日から、神に愛された人であったが、その生涯のうちには失敗も目につく。怒りにかられるところがあり、また、英雄色を好むというところがあり、それがあのバテシェバ事件という決定的な罪を引き起こした。この事件以後のダビデの生涯は悲惨なものとなって行った。品行方正さという意味でいえば、たとえば後の宗教改革者ヨシヤ王のほうがダビデよりもずっと立派である。
 欠点も罪も目に付くダビデに対する神の取り扱いは厳しい。だが、明らかに神の心はダビデに向いていた。品行方正な子より、「腕白でもいい、たくましく育って欲しい」という親心のようなものなのだろうか。鍵は本日の一節で強調される「心」なのではなかろうか。人はうわべを見るが、神は心をご覧になる。ダビデは、神を捉える、そういう赤心をそなえた人だった。ダビデは、神にとって「このバカ!しかし、憎めないやつ。」といった手ごたえを感じさせる男だったと思う。そして、まことの神が、死んだ観念でなく、生ける人格であられるということを、ダビデの生涯を通して私たちは知ることができる。
 自らを振り返ると、うーん、手ごたえ不足だろうな。