苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン6月15日  世界大の救いのビジョン

(イザヤ25:8)
文語訳:
とこしへまで死を呑たまはん 主ヱホバはすべての面より涙をぬぐひ 全地のうへよりその民の凌辱をのぞき給はん これはヱホバの語りたまへるなり
口語訳:
主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。
新改訳:
永久に死を滅ぼされる。
神である主はすべての顔から涙をぬぐい、
ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。
【主】が語られたのだ。
新共同訳:
死を永久に滅ぼしてくださる。主なる神は、御自分の民の恥を地上からぬぐい去ってくださる。これは主が語られたことである。
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 22章はエルサレムの罪、23章はシドンの罪のことが書かれているのだが、24章にいたると新共同が「神の世界審判」と小見出しをつけるように、突然、世界終末論的な預言に転じている。その文脈の中での25章は「神の驚くべきみわざ」である。もはや民族、国家としてのイスラエルの話を超えて、新約における神の民について述べているという印象が強い。
 永久に死を滅ぼし、神の民のはずかしめをぬぐい去ってくださる。このところ、主の日にマタイ24章から主の再臨を味わっているので、そのスケールの大きな救済とイメージが重なる。かの日に目を置いて、しかも、浮き足立つことなく、きょうなすべきことをしっかりとすること。