イザヤ58:1
大によばはりて聲ををしむなかれ
汝のこゑをラッパのごとくあげ
わが民にその愆をつげ
ヤコブの家にその罪をつげしめせ(文語訳)大いに呼ばわって声を惜しむな。
あなたの声をラッパのようにあげ、
わが民にそのとがを告げ、
ヤコブの家にその罪を告げ示せ。(口語訳)せいいっぱい大声で叫べ。
角笛のように、声をあげよ。
わたしの民に彼らのそむきの罪を告げ、
ヤコブの家にその罪を告げよ。(新改訳)喉をからして叫べ、黙すな、声をあげよ、
角笛のように。わたしの民にその背きを、
ヤコブの家にその罪を告げよ。(新共同訳)
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文語と口語が「大いに」としているところを新改訳は「大声で」、新共同訳は「喉をからして」としている。ヘブル語ではbe/garon。ガローンは喉だから新共同訳は工夫したなあという感じ。そのあと「声を惜しむな」「せいいっぱい」「黙すな」にあたる語がつづく。
主の目から見た当時のイスラエルの罪はなんだったのか?彼らは断食といった宗教的儀式は盛んに行っていた。次のようにある。
「わたしの好む断食、人が身を戒める日は、
このようなものだろうか。
葦のように頭を垂れ、
荒布と灰を敷き広げることだけだろうか。
これを、あなたがたは断食と呼び、
【主】に喜ばれる日と呼ぶのか。」(58:5)
だが、 その社会は不公正に満ちていた。貧富の格差、虐待、貧困・・・。神はこうした正義の実践がともなってこそ、断食といった宗教儀式は意味ある者なのだとおっしゃる。
「 わたしの好む断食は、これではないか。
悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、
しいたげられた者たちを自由の身とし、
すべてのくびきを砕くことではないか。
飢えた者にはあなたのパンを分け与え、
家のない貧しい人々を家に入れ、
裸の人を見て、これに着せ、
あなたの肉親の世話をすることではないか。」(58:6,7)
こうした社会的不正義について、喉をからすまでに警告をせよ、と主はおっしゃる。もう言ってもむだだ、と諦めてはいけない、と。今月の「通信小海」を書きながら、どうしようもうないなあ、と諦めかけていた小生に喝を与える一句。