苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン4月27日  人間の倒錯

歴代誌上22:19
然ば汝ら心をこめ精神をこめて汝らの神ヱホバを求めよ (文語訳)

それであなたがたは心をつくし、精神をつくしてあなたがたの神、主を求めなさい。(口語訳)

そこで今、あなたがたは心を尽くし、精神を尽くして、あなたがたの神、【主】に求めなさい。(新改訳)

今こそ、心と魂を傾けてあなたたちの神、主を求め(新共同訳)

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 文脈はソロモンの神殿建設。ローズンゲンで取り上げられているのは、「今こそ、心と魂を傾けてあなたたちの神、主を求めなさい」(新共同)の部分のみ。文語訳「心をこめ精神をこめて」、口語訳、新改訳はひらがな、漢字の違いはあるが「心をつくし、精神をつくし」とある。
 「心」と訳されているのはlebabであり、「魂」「精神」と訳されているのはnephesh。どちらも外的な人に対して内的な人をさすことばだが、もちろん「内的な人だけつくし」というのではなく、「うわべでなく衷心から、あなたの全存在を傾注して」という意味。
 人が幸せになることにのみ関心があり、神に無関心で、せいぜい人の幸せの手段として神に関心をもつというのが、日本人の宗教観らしい。学生時代、哲学科のある教授に「人が神の栄光のために造られたのであって、神が人のために造られたのではない」といくら説明しても、まったく理解してもらえなかった。
 だが、はじめに神が生きておられ、神が人を造られたのだから、人の目的が神を愛し神に仕えることにあるのは自明のこと。それがわからなくなってしまっているのが、人間の倒錯。