苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン2月27日  罪人に道を

詩編25章8節
【主】は、いつくしみ深く、正しくあられる。
 それゆえ、罪人に道を教えられる。


主は恵みふかく、かつ正しくいらせられる。
それゆえ、主は道を罪びとに教え、(口語訳)


ヱホバはめぐみ深くして直くましませり 斯るがゆゑに道をつみびとにをしへ(文語)


主は恵み深く正しくいまし、罪人に道を示してくださいます。(新共同訳)

 「いつくしみ深い」「恵みふかい」と訳されたのは、トーブ。つまり、「良い」ということば。創世記で神が万物を造ってゆき、段階ごとに「よしとされた」のあのトーブである。主は良いお方である。「正しい」(ヤシャル)というのはまっすぐなという意味なので、文語訳は「直く」と訳している。
 主はトーブでヤシャルであられる、「それゆえ(アルケーン)」罪人に道を教えてくださる。罪人を野放しにするのではなく、また、罪人をばっさりと切って捨てるのでなく、罪人に道を教えてくださる主。罪人である私にとって、こんなにありがたいお方はいない。

 今日も行くべき道を教えてください。主よ。

追記 同日>
ヘブル語本文では、「道を」でなく、前置詞beがくっついているので、「道で」「その道で」である。道とは人生行路において、ということか。