甲府福音キリスト教会でのご奉仕が終わって帰宅しました。カゼでしたけれども、なんとか5回の奉仕を最後まですることができたことを、特にお祈りくださった主にある兄弟姉妹に感謝しています。
ざっとまとめてみると、以下のような内容でした。
序 ルカ伝15章放蕩息子のたとえから、救いの全貌をまなぶ。
1.神様はもともと人を神のかたちである御子キリストに似た者そしてキリストのように成熟すべき者として創ってくださった。それゆえ私たちがキリストを目指して生きるということは、「無理な」ことではなく、むしろ自分の本来の姿にかなうことなので、もっとも自由な生き方である。
2.御子は御父を愛し私たちの隣人となって私たちを愛してくださっているように、私たちもまた神を愛し隣人を自分自身のように愛するという目的をもって創られている。そのように生きるところに、私たちは自由と喜びを経験する。
3.御子は預言者職・祭司職・王職という三職を担っておられるように、私たちは御子に似せられた(知と聖と義を機能とする)者として、預言者職・祭司職・王職を賜っている。これら三職は、それぞれ教会内的な面と世界的な面がある。
預言者の教会内的な面とは「教えディダケー」であり、世界的な面は「伝道ケーリュグマ」である。
祭司の教会的な面とは「礼拝ととりなし」であり、世界的な面とは「世界のためにとりなし祈る」ことである。
王職の教会的な面とは「自分の願いでなく神のみこころを求めて教会政治に参加すること」であり、世界的な面とは「みこころの天になるごとく地にもなる」ために、他人のごみを自分のごみとして拾うことである。
4.「伝道とはなにか?」を福音書と使徒の4つの大宣教命令からまなび、
6.王職については、とくに世界的王権について、申命記17章と黙示録13章から学び、今日の問題を考えました。